私たち一行が最初の1泊を過ごしたのが、島原半島の中央の山地にある雲仙の温泉ホテルでありました。その窓から見えたのが、写真にあります雲仙地獄といわれる場所です。
熱湯が岩の間からぐらぐらと音を立てて沸きたぎっていて、強い硫黄の臭いと共に湯煙が上がっています。ここで1627(寛永4)年から31(寛永8)年までの5年間、島原の乱ですでに多くのキリシタンを殺害した島原藩主、松倉重政がキリシタンに信仰を棄(す)てさせるための拷問と処刑を行ったのでありました。
5年間にここで殉教したキリシタンの数は、合計33人に上るといわれています。松倉重政は、幕府への過剰な忠誠を示すために、このような人間の想像を超える残酷極まる弾圧を行ったのでありました。
捕らえられたキリシタンは、まず指を切り落とされて、すぐに死なせないで棄教(転び)させるために、柄杓(ひしゃく)で熱湯を頭からかけられて拷問を受けました。それでも転ばない者は、両足に縄を掛けて逆さ吊りにして、湯壺に浸けては引き出すということを数回続けたのでした。
そして、棄教を拒んだ者は熱湯で焼けただれて死んでいきました。ほとんどのキリシタンたちは最後まで棄教することなく、殉教していきました。この残酷な拷問の方法は、長崎奉行の竹中重義も採用し、長崎で捕らえられたキリシタンは雲仙地獄へ送り込まれ、さまざまな拷問が科せられました。
しかし、棄教する者はやはりほとんどなく、再び長崎に送り返されてその地で処刑されたのでした。カトリック教会ではこれらの殉教者たちを福者(幸いなる者)として列福し、その霊を今も覚えて慰めています。
雲仙地獄の目立たない裏路にこれらの殉教者たちを慰霊する十字架の碑がひっそりと立っています(写真)。殉教者の中には女性も5歳の幼い子どももいたといいます。
このキリシタンたちは「からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません」と言われたイエス・キリストの御言葉を堅く信じて殉教していったのでした。ここに至って、私はもはや言葉を失いました。
◇