「エペソにある教会の御使いに書き送れ。・・・『わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい』」(ヨハネ黙示録2章1~5節)
4月の始まりと同時に、新しい年度の始まりです。私たちの信仰も神から新しい力をいただきましょう。私たちは、決して完璧ではありません。中途半端で、弱さを抱えています。そんな私たちと共にいて励ましてくださるのは、他でもないイエスです。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから」(イザヤ書41:10)と約束された神の恵みが新鮮に注がれることを感謝します。
ヨハネの黙示録は、預言的な象徴やたとえ、暗示的な言葉で表現される部分も多い書です。ここでは、個性ある、信仰の持ち方に差がある7つの教会へ、主からの信仰の警告のために手紙が送られました。2章はその前半部分で、まずエペソの教会に送られた手紙から始まります。
救い主イエスは、私たちが今までどれほど一生懸命に信仰の歩みをしてきたかをご存じです。主は、私たちの人生のひとコマひとコマを共に歩んでくださる神です。全てをご存じのイエスだからこそ、今抱えている微妙な心のズレ、危うさ、間違っている事に対して、ビシッと忠告してくださいます。それに耳を傾けたいと思います。今日は2つのことに注意して、信仰を調整しましょう。
1. 初めの愛を思い起こそう
これまであなたは頑張ってきました。熱心に見えるあなたに、「初めの愛」が燃えていますか。いつの間にか、信仰が冷たくなり始めてはいないでしょうか。社会、家族、仕事、友達のことで、相手のダメなことばかりが目に付き、他人を批判し責め立ててはいませんか。
私たちクリスチャンは、神の光に自分を照らし、悔い改め、躍動感や深い感動があるか、マンネリ化して冷たくなっていないか、まず自分の心を探る者でありたいと思います。自分の罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださったイエスに初めて出会ったとき、イエスの愛に感動したことを思い出してください。
教会に行き、祈ることに心がわくわくし、いつも感謝し恵まれていた、そんな初めの愛を取り戻してほしいと思います。人間の心は変わりやすいものですから、いつも聖霊が注がれ、キリストの愛で満たされたいと思います。
2. 初めの行いからやり直す
神が私たちに求めていることは、高度で複雑で難しいことではなく、基本中の基本です。初めの愛に相応(ふさわ)しい初めの行いは、素直な悔い改めです。私たちが一番気を付けなければならないことは、高ぶりです。
しばしば、命を与えてくださった神よりも自分が偉いと錯覚して、罪を犯します。たとえ信仰生活が長くなっても、変わらずへりくだり、主を見上げる者でありましょう。神の目から見れば、皆、どんぐりの背比べなのですから。
大切なことは基本に立ち戻ることです。具体的には、忠実な礼拝出席、心からの祈り、奉仕、感謝のささげものです。
新年度になり、周りの環境が変わっただけではなく、主の御前に新鮮な命をいただきましょう。もっともっとわくわくして御言葉に接し、素直なクリスチャンになって、キリストに愛されている1人の魂として自分を見つめ直せば、感謝すべきことが山ほどあります。ありとあらゆる可能性にあふれています。
主が共にいてくだされば、喜びと可能性の日々を送ることができます。信仰によって刷新されて新年度を歩み始めましょう。
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