「『もしも主が私たちの味方でなかったなら。』さあ、イスラエルは言え。『もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。・・・そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。』ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある」(詩篇124篇1~8節)
主が共にいてくださるから、この1週間も必ず祝福されます! 私たちには人をうらやむという愚かな性質がありますが、ねたみが生み出す欠乏感、不足感、劣等感や孤独感まで抱くことがないように。心がイエスの愛によって守られ、「光の子」として春の日々を感謝して前進しましょう。
今日の聖書箇所の中では、特に印象的な言葉が2回繰り返されています。「もしも主が私たちの味方でなかったなら」。イスラエルの人々にとって神の選びの民とされたことは最も大きな喜びでした。奴隷であった彼らが、当時の大帝国エジプトから脱出し、民族として新しい歩みを始めるという、常識では考えられないことが、神の奇跡によって実現したのです。この民族としての記憶を絶対忘れてはならないという、彼らの信仰がこの詩篇を生み出したのです。
私たちには、生活の中でさまざまな困難な状況もあるでしょう。でもそのような時も、確かに神の奇跡を見いだすことができると確信しましょう。これからの春の日々を歩むとき、本当に幸せな毎日を体験するために一番必要なことは、あなたの心が信仰によって整えられることです。3つのことを確認してまいりましょう。
1. イエスと出会えたことに感謝する
日曜日に礼拝に集うことが、単なる習慣や当たり前になっていないでしようか? 習慣化して、神からの恵みを軽く扱うことがないようにしましょう。もし、救い主に出会わなければ、あなたはどうなっていたでしょうか? それを素直に考える者でありたいのです。
主が私たちと出会ってくださっていなければ、私たちの人生の中に「賛美」「感謝」「ほめたたえる」などの言葉はなかったかもしれません。愚痴、不満を言うことばかりに時間を費やしていたかもしれません。とりなしの祈りもできず、責任転嫁をしながらの暗い人生を過ごしたのではないでしょうか。教会に通うようになり、特別な場が与えられ、「平安」をいただいていることを明確に意識し、心から感謝しましょう。
2. あなたの中の神の奇跡に感謝する
「神の恵みにより私は今の私になりました」とパウロは語っています。あなたが今のあなたであることにすでに神の恵みがあり、今のあなたの中にある神の奇跡を見てほしいと思います。私たちは自分を過小評価しがちで自暴自棄になってしまうことがあります。けれど、そのような「弱い」ときにこそ神が働いてくださることを体験できるから感謝しましょう。
今ある私たちのごく自然な流れの中に、実は神の恵みがあることを喜ぼうではありませんか。神の愛、救いのご計画が集中して現され結晶している、それがあなたであることをはっきり意識してほしいのです。
3. 全てが与えられていることに感謝する
人の目にはいろいろな物が不足しているように見えても、神が共にいてくださる私たちは、満ち足りて本当に充足した歩みをすることができる。そんな喜び、充足感、感謝を持って歩んでいこうではありませんか。春夏秋冬、季節が巡る中でも、さらに神が豊かに祝福してくださることを感謝しましょう。
全ての恵みが主キリストの御名の中にあります。春からの1年間を喜びをもって前進しましょう。詩篇の作者は23篇で「主は私の羊飼い、私は、乏しいことがありません」と語っています。この恵みの神と共に歩めることを喜び、あなたの心を一新しましょう。
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