ローマ教皇フランシスコは、レント(受難節、四旬節)の第1日曜日となった5日、バチカンのサンピエトロ広場で説教し、全てのクリスチャンに対して、聖書を携帯電話と同じように持ち歩き、読むよう呼び掛けた。
ロイター通信(英語)によると、教皇はサンピエトロ広場に集まった聴衆に対し、「もし私たちが、携帯電話と同じように聖書を取り扱うなら何が起こるでしょうか」と問い掛けた。
また、「もし私たちが聖書を置き忘れてしまったとき、(携帯電話を探すように)探し回るなら何が起こるでしょうか。もし私たちが小さなポケット版の聖書であっても、いつも持ち歩くなら、何が起こるでしょうか。もし私たちが携帯電話のメッセージを読むように聖書の中の神のメッセージを読むなら、何が起こるでしょうか」と続けた。
バチカン放送(英語)によると、教皇は、聖書と携帯電話を比較することは逆説的であるかもしれないが、比較することでクリスチャンたちが省みるようになるはずだと語った。
教皇は、「もし私たちがいつも神の御言葉を心の中に入れて持ち歩くなら、いかなる誘惑も私たちを御父から遠ざけることはないでしょうし、どんな障害も善への道から私たちをそらさないでしょう」と述べた。
教皇はまた、ポケットサイズの福音書をいつも持ち歩くことを提案。「携帯電話と同じように、いつも自分と一緒に、いつも自分の近くにと、聖書を取り扱うなら、何が起こるかを忘れないでください」と強調した。
マタイによる福音書に記されている、イエスが悪魔から誘惑された荒野の40日間について触れ、教皇は、イエスが悪魔の試みを打ち破るために神の御言葉を用いたことを語った。「イエスは悪魔の毒矢の全てを神の御言葉の盾で防ぎました」。教皇は、全てのクリスチャンがレントの40日間、イエスの姿に倣い、神の御言葉の力によって悪との霊的な戦いに向かうべきだと語った。
「これは聖書に親しむことが必要な理由です。聖書を頻繁に読んでください。熟考してください。吸収してください。聖書には、いつも時宜にかなって有益な神の御言葉が書かれています」
教皇はおおむね、テクノロジーやソーシャルメディアの使用には反対していない。昨年には、インターネットやソーシャルメディア、テキストメッセージは神の賜物であり、知恵を持って使われるべきであると述べていた。「コミュニケーションが真正なものであるか否かを決定するのは、テクノロジーではなく、むしろ人間の心と、その手段を自由に賢く用いる私たちの能力なのです」
しかしその一方で、最近のテクノロジーがもたらす負の面についても語っている。2015年に教皇は、「今日、特に若い人々にとっては欠かせないものになっている現代のメディアは、家族間のコミュニケーションの助けになるのと同時に妨げにもなり得ます」と述べている。当時教皇は、前教皇ベネディクト16世の言葉を引用して「メディアは、もしそれが他者から話を聞くことや身体的接触を避けるようにさせ、沈黙と休息のあらゆる瞬間を満たす手段となるなら、(コミュニケーションの)妨げとなる可能性があり、私たちは『沈黙がコミュニケーションの不可欠の要素であること、沈黙が欠如するとき、内容豊かな言葉は存在できない』ということを忘れてしまうのです」と語っていた。
また先月にはローマの大学で講演し、学生たちに対し「家庭に会話がないとき、また私たちがテーブルに着いていながらも、話をする代わりに皆が携帯電話を操作しているとき、それは戦争の始まりです。そこには会話がないからです」と話し、顔と顔とを合わせたコミュニケーションの大切さを説いていた。