聖なる生涯を慕い求める英国発祥の聖会「日本ケズィック・コンベンション」の第56回が、「祝福された生涯へのリセット」と題して、四季(とき)の湯温泉ヘリテイジ・リゾート(埼玉県熊谷市)で2月21日から23日にかけて開催された。
過去55回は箱根で開催されてきたが、長年会場としてきた箱根ホテル小涌園が改築工事に入ることから、今年は場所を移しての開催となった。新しい会場でもこれまでと同じく、「みなキリスト・イエスにあって一つ」という同聖会のテーマが掲げられ、参加者たちは講師たちが取り次ぐ力強い御言葉の解き明かしに耳を傾けた。都内からアクセスがしやすくなったこともあり、日帰り参加での聴講者の姿が例年以上に多く見られ、参加者は宿泊者・聴講者合わせて約500人に上った。
メインスピーカーは、英国からモーランド・カレッジ校長のスティーブ・ブレディ牧師、インドから聖書協会世界連盟総主事のロバート・カンビル牧師、そして北海道ケズィック・コンベンション委員長の小菅剛牧師(日本イエス・キリスト教団札幌羊ケ丘教会)の3人。
2日目のバイブル・リーディングⅡではブレディ牧師がテサロニケの信徒への手紙一4章13~18節から、「この世はどうなっていくのか」という題でメッセージをした。冷戦期に少年時代を過ごしたブレディー牧師は、いつ起こるか分からない核戦争にいつもおびえながら成長した。しかし、クリスチャンになり、聖書がはっきりと語る「主ご自身が必ず戻ってこられる」という御言葉を確信したとき、どんなことが起ころうとも何も心配することはないと悟ったのだという。
戦争や環境破壊のうわさを耳にして不安に陥っている人々に向けてブレディ牧師は、「イエスの再臨」「死者の復活」「クリスチャンの携挙」「天での大きな再会」という4つの素晴らしい約束をもって互いに励まし合うよう呼び掛ける。再臨については、それが具体的にいつ起こるかを断言するような預言には注意する必要があると指摘しつつ、聖書の全体像をしっかりと把握すること、御言葉の小さな点も見過ごさないこと、何よりも「イエスにあって私たちは、死によっても神の愛から引き離されることはない」(ローマ8:35参照)という希望をクリスチャンが生活の中に適用していくことが大切だと説く。
「私たちは必ず主と1つになることが約束されている。人生の一番良い部分はこれからやって来るのだ」
2日目の午後は、レディース・コンベンション、教職セミナー、信徒セミナー、ユース・コンベンションの4つの分科会に分かれての学びが持たれた。ユース・コンベンションでは、ワーシップバンドチームのリードで賛美がささげられ、澤村信蔵牧師(基督兄弟団成増教会)がテサロニケの信徒への手紙一5章16~18節から「いつも喜んでいなさい」と題してメッセージを語った。
「きよめとは何か」「きよめられた人生とは」という問いへの答えとして、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という、神がクリスチャンに望んでおられる3つのことに心を留めるよう促す。
「父なる神は、クリスチャン一人一人が喜びに満ちた人生を歩むことを心から願っていてくださる方。だが、内側からあふれる喜びを自分でどうにかすることはできない。だから、喜べる状況に変えることのできる神に絶えず祈りなさい。また、十字架による贖(あがな)いへの感謝をささげるとき、自分は、イエスが犠牲になって買い取るほどに価値のある人間であると知ることができる。このようにして祈り、感謝するなら、私たちの内から喜びがあふれ出る。まず私たちがそう生きるときに、『私もそうなりたい』と周りの人々も変えられていくのだ」
3日目の最後の集会・聖会Ⅲでは、カンビル牧師が、ペトロの手紙一1章から「神のまことの恵み」と題してメッセージした。信仰ゆえの迫害の中にある人々に向けて書かれたこの箇所を今回選んだのは、毎日、各地から殉教者の血が流されているという報告を受け取っていて、この10年でこれまでにないほどに迫害が強まっていることを実感しているからだという。
「神のまことの恵みは、さまざまな試練の中にあってこそ現される。迫害や試練に遇う時というのは、恵みが届いていないのではなく、むしろ信仰が試され、強められ、証しされるまことの恵みにあずかっている時。激しい迫害が起こっている地域に実際に足を運んだが、そこで出会ったクリスチャンたちには非常に強い神への信仰を見ることができた。困難や迫害がクリスチャンをイエスに近付け、あらゆる汚れが取り除かれて、純粋なよりすぐれたクリスチャンに作り変えていくという確信に至った」とカンビル牧師は言う。
そして、「神は、私たちを適当に選んだのではなく、計画のうちに選んでくださった。ペトロは、『試練の時は、人生全体で見れば、ほんの短い時間』『天に備えられた資産がある』と、私たちの戦いの生涯を励まし支える非常に大切なメッセージも語っている。永遠という視点に立てば、信仰ゆえの苦しみも殉教さえも小さく見え、神による新しい喜びがあれば、それに耐えることができる」と力強く語った。
日本ケズィック・コンベンション東京委員会委員長の峯野龍弘牧師(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会)は閉会のあいさつで、「会場を変更したが、豊かに祝福された門出となった。これからの新たな100年のさらなる祝福を期待する」と述べて、参加者を送り出した。