第一は、神の召しを知ること(コリント二4・1)。ラム氏は「パウロが神に仕える中で最も大切にしていたことは、自分が神からこの務めに召されているという確信だった」と強調し、「どのような困難や試練に直面するとしても、自分が誰から召されているのか、自分は何をするために召されているのかを知っていれば、それを乗り越えることができる」と語った。
また、「神の御前で」(同2)との言葉について、「人々に対してではなく、私をこの務めに任じて下さった神に対して第一の責任を負っているということ」と説き、「私たちは、人々から賞賛を受けるために働いているのではない。神が見ているところで、神に仕えている」と述べた。
第二は、神の言葉を解き明かすこと。ラム氏は、「神の言葉がいつも教会の中心になければならない」とし、「神の言葉に対する私たちの使命は、神の言葉をまっすぐに、忠実に語ること」と強調した。特に「神の言葉を曲げず、真理を明らかにする」(同2)との言葉を強調し、「人々の人気を得るために付け加えることをせず、そのままにはっきりと語るということ。特別に限られた人にではなく、すべての人に真理を解き明かすということ」と説いた。
第三は、神の御子を宣べ伝えること。ラム氏は、「十字架につけられた主なるキリスト、これがパウロが語ったメッセージの中心だった」と強調し、「これがキリスト者として神に仕えるための中心になければならない。私たちが宣べ伝えるべきメッセージがここにある」と語った。
第四は、神の民に仕えること。ラム氏はパウロについて「もし自分が主なるイエスに仕えるものなら、同時に他の人に仕える僕だとの確信を持っていた」と語り、「私たちが自由にされたのはお互いに仕え合うため」と強調した。また、パウロの中に、神の言葉を大胆に宣言する主の権威と、神と人に僕となって仕える謙遜が共存していたことを強調し(同5)、「ここにすばらしいコンビネーションがある」と語った。
第五は、神の力を信頼すること。ラム氏は、パウロが、宣教の現場で人々を真理から遠ざける悪霊の働きがあると同時に、人々の心に真理の光を照らす聖霊の働きがあることを確信していたと語り、「神の言葉に力がある。聖霊に力がある。福音は救われる者には神の力」と強調した。
最後にラム氏は、「キリスト者として神に仕えることの最も大きな敵は、私たちの落胆した心」と指摘し、「キリスト者として仕えることは、決して簡単な働きではない。どんなに働いても、天に行くまであまり実りを見ないかもしれない。しかしパウロは『落胆しない』と語る」と強調した。