イスラエルのへブライ大学は8日、死海の北西岸に位置するクムラン西部の岸壁で、死海文書が保存されていたとみられる洞窟を発見したと発表した(英語)。死海文書の洞窟が発見されるのは60年ぶり。
英BBCニュース(英語)によると、洞窟からは、死海文書を所蔵していた壺や写本を包んでいた布の断片、関連するその他の遺物は発見されたものの、死海文書自体は喪失しており、1950年代にベドウィン(アラブの遊牧民族)らに奪われたとみられている。
「死海文書はこれまで、クムランにある11の洞窟でしか発見されていませんでしたが、今回の発見が12番目の洞窟となることは間違いありません」と、へブライ大学発掘チームのリーダーであるオレン・ガットフェルド氏は語った。
「最終的に写本は見つからず、写本用に加工された羊皮紙が壺の中で巻かれた状態で見つかっただけでした。これらの遺物から、洞窟に保管されていた写本が盗まれたことは間違いありません」
死海文書が隠されていた洞窟はこれまで11カ所とされていたが、今回の発見により12カ所となり、今後さらに別の洞窟も発見される可能性がある。今回発見された洞窟は紀元前68年頃のものと考えられており、ローマ軍から写本を守るためのものだったとみられている。
死海文書は1947年から1956年にかけて続けて発見され、約900の写本と数千の写本の断片が研究者らによって分析されている。その中には、ヘブライ語やアラム語、ギリシャ語で動物の皮やパピルス紙に書かれた、聖書本文が含まれている。
考古学者らは、洞窟内で20世紀中頃の鉄製のつるはしが2本見つかったことから、ベドウィンらが写本を奪い去った可能性が高いと考えている。
「ベドウィンたちが洞窟に侵入したと、私は推察しています。彼らが写本の入った壺を見つけ、写本を持ち去ったのです」「ベドウィンたちは、実際に写本を開いたのではないかと思います。そして写本を包んでいた織物や陶器などは、全て残していったのでしょう」と、ガットフェルド氏は言う。
一方、米フォックス・ニュース(英語)は、今回の洞窟の発見は、死海文書がイスラエルの所有物であることを示しているとする2人の聖書学者の論説を掲載している。1人は、初期キリスト教を専門とし、クリスチャン・シンカーズ協会会長などを務めるジェレマイア・J・ジョンソン准教授(米ヒューストン・バプテスト大学)。もう1人は、キリスト教の起源について研究しているクレイグ・A・エバンズ名誉教授(同大)。
ジョンソンとエバンズの両氏は、3つの理由を挙げている。1つ目は、死海文書が発見された場所が、歴史的にユダヤ人が住んでいたイスラエル領の一部であること。2つ目は、死海文書がヘブライ語やアラム語、ギリシャ語で書かれていること。これら3つの言語は、聖書で用いられている言語であり、特にヘブライ語はイスラエルの歴史的言語である。そして2人は最後に、こうした文化的遺物を保護するため、イスラエルが大きな役割を果たしていることを挙げた。
「私たちが最後にイスラエルに行ったとき、友人であり聖書学者でもあるアドルフォ・ロイトマン氏が、死海文書の展示の裏話をしてくれました。ロイトマン氏は、死海写本館で館長をしている方です。彼が言うには、核兵器による大量破壊が起きた場合でも、写本館に所蔵されている死海文書は守られるそうです。それほど写本館のセキュリティー技術や設備が進んでいるのです」と両氏は語った。