北アフリカ北西部の国、モロッコ王国の高等宗教委員会は、イスラム教からの背教は死罪に値するとした過去の見解を取り消し、イスラム教徒は自身の宗教を変更することが認められるとする新たな見解を示した。
モロッコでファトワー(イスラム法に基づく勧告、見解)を発布する責任を負う同委は2012年、イスラム教から他宗教へ改宗することは死罪に値するという見解を示していた。しかし、モロッコ・ワールド・ニュース(英語)によると、同委は最近、これまでの立場を撤回する内容が記された文書「学者たちの道」を発表。背教に対する死罪を宗教的な事柄ではなく、政治的な事柄として扱い、現在においては背教の多くが死罪には当たらないとする見解を示した。
文書には、「最も正確な理解であり、イスラム法と預言者ムハンマド——彼に平和がありますように——の実際的な方法と最も一致していることは、背教者を殺すことは、裏切り者や秘密を漏らす者(中略)に対するものであり、国際法における反逆罪に相当するものなのである」と記されている。
そして、背教はイスラム教の最も初期に、背教者が敵国に国の機密を漏らすかもしれないといった政治的影響のために罰せられるべきものであったと説明。背教とそれに対する処罰には、多分に実際的、政治的な背景があったと述べている。そして、このような緊張状態(背教者が国家機密を漏えいすること)はもはや大抵の背教の場合には当てはまらないとしている。
同委はさらに、コーランはさまざまな場面で、現世ではなく、来世において罰せられる背教について語っていることに言及した。例えば、コーランの第2章「雌牛(アル・バカラ)」の217節には、「あなたがたの中で、もし信仰に背き、不信心者のままで死ぬ者があれば、このような者は、現世でも来世でも、その行いは徒(あだ)となる。またこれらの者は、業火の住人である。彼らは永遠にその中に住む」と述べられている。
同委はまた、「フダイビーヤの和議」(628年にムハンマドとメッカのクライシュ族の間で結ばれた和議)でムハンマドは、イスラム教を放棄した者がクライシュ族(ムハンマドの出身部族だが、当時のイスラム教にとって最大の敵でもあった)に戻ることが許されなければならないという伝統に従ったと述べている。
モロッコでは、イスラム教が国教と定められており、人口のほとんどをイスラム教スンニ派が占めている。