使命によって脈打つ心臓
「見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ」(出エジプト記3:9、10)
神様は裸足で立っているモーセに対して、イスラエルの民をエジプトから導き出すという使命を下さいました。神様はエジプトにいるイスラエルの民の苦しみをご覧になり、彼らが奴隷生活を送りながら叫ぶ祈りを聞かれたからです。
神様がイエス様をこの世に送られた目的も、私たちの苦しむ声を聞かれたからです。私たちは、誰も私たちの苦しみや絶望を知らないと考えるときがあります。しかし、神様は私たちの苦しみを知っておられます。ですから、私たちは問題にぶつかったとき、主に叫ばなければなりません。
そうすると主は、主の時に答えてくださいます。問題を解決し、私たちに使命を下さいます。神様はイスラエルの民の叫びを聞かれ、彼らの苦しみを解決するため、砕かれ、低くなったモーセを選んで使命を下さいました。
「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ」(出エジプト記3:8)
神様はモーセに使命を下さいました。使命を受けたモーセはこう答えました。
モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは」(出エジプト3:11)
荒野で40年を過ごしながら、自分は何者でもないことを知るようになったモーセは、神様の御前で「私はいったい何者なのでしょう」と告白しました。すると、神様は次のように答えられました。
「神は仰せられた。『わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない』」(出エジプト3:12)
神様はモーセの質問に対し、神様が共におられるとおっしゃいました。私たちが使命を果たせるのは、神様が私たちと共におられるからです。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ41:10)
それ以後、エジプトから出てきて40年間荒野の道を歩むとき、神様は常にモーセと共におられました。私たちも荒野のようなこの世の中を歩むとき、主と共に歩まなければなりません。使命とは「送る」という意味です。人間はそれぞれの使命を果たすためにこの地に送られた存在です。それ故、「どれだけ長生きするか」が重要なのではなく、「どうやって神様の下さった使命に従って生きるか」が重要なのです。
神様がアブラハムを呼ばれた理由は、世界の全ての人々が祝福を受けるためでした。使徒パウロの使命は、異邦人に福音を伝えることでした。私たちに任せられた使命は何でしょうか。それはモーセがエジプトで苦しむ民をカナンの地に導くように、主を知らずに苦しみの中で死にゆく人々に福音を伝えることです。
アフリカ南東部地域に位置するマラウイ共和国は、人口5万人当たり医者1人という、極度に劣悪な医療システムを持っている国です。そんな国に「デヤン・ルカ病院」(Daeyang Luke Hospital)という国家最大規模の医療施設が建つこととなりました。ところがこの病院を建てるのに一番大きな役割を果たしたのが、「マラウイの天使」と呼ばれる韓国人、ペク・ヨンシム看護師です。実際、ここに病院が建てられたのは奇跡でした。
高麗大学付属病院で内科看護師として働いていた彼女は、常に、より大変な状況にある患者のための医療宣教に献身したいという思いを持っていました。そんな中、彼女が28歳の時、ケニアのマサイ部族に看護師が必要だとの話を聞いてすぐに志願しました。その後2年間ケニアで医療奉仕をし、ケニアよりも医療環境が劣悪だとのマラウイに行き、すぐに住民500人が住んでいたチムワラに診療所を建て、教会と学校を建てるなど奉仕を始めました。
そんなある日、5歳の子どもがお母さんにおんぶされてやって来ました。手術に必要な道具も足りず、輸血のための血もありませんでした。気ばかりもむ間に子どもは亡くなり、彼女はひざまずいて泣きながら、彼らのための大きな病院を建ててくださるよう神様に祈りました。その時から、彼女はそこに大型病院が建築されるよう祈ったのです。
彼女の祈りを聞かれた神様は、助けの御手を送ってくださり、ついに2008年、33億ウォンが投じられてデヤン・ルカ病院が完成しました。竣工式にはマラウイ大統領も出席して感謝の意を伝えました。2011年、彼女は甲状腺がんの手術のために韓国に一時帰国し、再びマラウイにとんぼ返りしました。喉が痛くて大きな声で話をすることもできない状況で、彼女は空港でか細い声でこう言いました。
「まだ医者が足りません。すぐに戻って医科大学設立方案を探さなくてはなりません」
韓国での安楽な生活を後にして、自ら低くなって最も劣悪な場所で医療宣教を行っているペク・ヨンシム看護師の姿から、人々はイエス様の御姿を見ます。私たちは低くなることを通して、神様の大いなる恵みを常に体験する者とならなくてはなりません。私たちの姿を通してイエス様の御姿を現す人生を送らなければなりません。これこそまさに小さなイエスの人生です。
今も主は私たちを使命の場所へと呼んでおられます。この時、まず聖霊充満を受け、罪悪の靴を脱いでしまわなければなりません。
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』より)
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【書籍紹介】
李永勲(イ・ヨンフン)著『まことの喜び』 2015年5月23日発行 定価1500円+税
苦難の中でも喜べ 思い煩いはこの世に属することである
イエス様は十字架を背負っていくその瞬間も喜んでおられました。肉が裂ける苦しみと死を前にしても、淡々とそれを受け入れ、後悔されませんでした。私たちをあまりにも愛しておられたからです。喜びの霊性とは、そんなイエス様に従っていくことです。イエス様だけで喜び、イエス様だけで満足することを知る霊性です。神様はイエス様のことを指し、神の御旨に従う息子という意味を込めて「これは、わたしの愛する子」(マタイ3:17)と呼びました。すなわち、ただ主お一人だけで喜ぶ人生の姿勢こそが、神の民がこの世で勝利できる秘訣だということです。
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』プロローグより)
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