「ブルー・クリスマス」というと、恋人のいない寂しさを歌ったエルヴィス・プレスリーの歌(1964年・1965年)を思い出す方もおられるかもしれない。その「ブルー」というのは英語で「憂うつな」という意味だが、日本の若者たちの間では恋人たちの祭りのようになってしまった巷のクリスマスは、そんな寂しい人にとっては確かにつらいものがある。
その一方で、最近は、“若者のクリスマス離れ”が顕著になったという調査結果を、(株)ホットリンク(東京都千代田区)が15日にプレスリリースで発表している。
でも、ここでいうブルー・クリスマス礼拝とは、その年に愛する人を失った人たちのために、西方教会の一部で待降節に行われる礼拝のことである。
米クリスチャンポスト紙のオードリー・バリック記者は2007年12月22日、「ブルー・クリスマスが悲しむ人たちを教会へと引きつける」という見出しで、ブルー・クリスマス礼拝について伝える記事を書いた。
「愛する人たちがいない多くの人たちにとっては、ブルーなクリスマスである」と同記者は記した。「何百万人もの人たちがキリストの降誕を祝うとき、精神的な一体感や休日の歓呼に囲まれてはいるものの、一部の人たちは、家族が亡くなったことを嘆き悲しみ、(クリスマスの)その喜びを見いだすことに苦悩を覚えている」
「多くの教会が、教会に通う何千人もの人たちや復活祭・クリスマスの群衆だけでなく、嘆き悲しんでいる人たちにも、今週末に特別な『ブルー・クリスマス』礼拝で門戸を開けている」と記者は続け、その実例として、ベテル合同メソジスト教会(デラウェア州)のオーシャンビュー教会や、米国聖公会の聖マルコ教会(コロラド州)・トリニティ(三一)教会(ニューヨーク州)、聖パウロ教会(ニュージャージー州)におけるブルー・クリスマス礼拝を紹介した。
近年では日本でも、例えば単立・東京ユニオンチャーチ(東京都渋谷区)が12月中旬に英語でブルー・クリスマス礼拝を行っているほか、名古屋でも教会関係者の主催によるブルー・クリスマスの集いに参加したという人もいる。また、クリスマスに泣いている人たちのことを歌った日本語の創作賛美歌もある。そして、こうした礼拝をインターネット上で話題にする人たちも出てきている。
クリスマスに嘆き悲しむ人たちのために、米クリスチャンポスト紙の寄稿者であるドーン・アンダーソン氏は、2014年12月26日、「『ブルー・クリスマス』を切り抜けて生き残るための5つの秘訣」という見出しの記事で、1.自分を大切にすること、2.質素にすること、3.今年はいつもと違うことをして、新しい伝統を始めること、4.もしあなたが愛する人を失ったら、家族の集いの一部としてその人を記憶すること、5.クリスマスが持つ本当の意味に焦点を当てること、という5つの点を勧めている。
日本でも、クリスマスに教会に来ても寂しく悲しいという人たちが、信者であるなしを問わず、教会の中に依然としている場合があることは事実であろう。ブルー・クリスマス礼拝は、そんな人たちに憐れみを示し、共に悲しみ、共にキリストに希望を見いだすという課題を、日本の多くの教会にも投げ掛けるきっかけとなるのだろうか。