イルミネーションに彩られた街、クリスマスのプレゼントを待ち望む子どもたちの華やかな声が響く12月。キラキラと光る街とは対照的に、今日も黙々と刑務をこなす受刑者たちは、孤独と悲しさと後悔とさまざまな感情を胸に罪を償いながら、刑務所の中で生活している。
雪の舞い散る今月17日、暗く寂しいその場所に「真の光」を届けようと、山形六日町教会、山形本町教会(ともに日本基督教団)、山形南部教会(ウェスレアン・ホーリネス教団)など地元の教会の牧師と信徒ら23人が、山形刑務所の受刑者と共に「クリスマス会」を行った。山形南部教会の岡摂也牧師は同刑務所の教誨師を務め、1カ月に1度、教誨に訪れている。
山形刑務所は、収容人数約千人。初犯で10年以上の長期受刑者が約7割を占める刑務所だ。中には、白髪姿の80歳を超える高齢者もおり、受刑者のおよそ1割は無期懲役の受刑者だという。
受刑者たちは、平日は刑務をこなし、土日祝日はそれぞれの舎房(部屋)の中で、読書をしたり手紙を書いたりすることが多い。テレビの観覧は、夜数時間のみ許可されているが、十数人で同じテレビを見るので、自分の見たいものが見られるとは限らない。こうした「慰問」は、人との交流が薄い受刑生活の中で、受刑者たちの暗く冷えた心を温める良い機会なのだという。
教会員と受刑者共に神を礼拝
今回のクリスマス会は、事前に参加者を募り、希望した67人が参加。受刑者たちは刑務官に見張られながら、数人単位で、号令とともに行進しながら会場までやって来た。席に着くと背筋を伸ばし、話をすることなく、手を膝に置き、目をつぶって始まるのを待った。刑務官は67人の受刑者の背後、前、横に二十数人。その様子は「物々しい」現場そのものだった。
クリスマス会は2部形式で行われ、1部は礼拝が執り行われた。詩編の交読が行われ、受刑者と共に壇上にいる教会員たちも声を合わせた。賛美奉仕に当たった教会員の透き通るような歌声は、静寂の中、美しく会場内に響いた。
進藤牧師が魂のメッセージ
第2部の講演は、自らも3度の受刑経験がある「罪人の友」主イエス・キリスト教会(通称:罪友)の進藤龍也牧師が行った。受刑者の伝道に明確なビジョンを持つ進藤牧師だが、前科のある者が刑務所で講演を行う機会は極めて少ない。今年度も3回ほどオファーがあったものの、そのうち2回は刑務所長の許可を得ることができず、直前でキャンセルになった。「交通費も謝礼もいらない。どこでも伺います」と進藤牧師は話すものの、受け入れてくれる刑務所は少ないという。
山形刑務所での講演は、今回で4回目。岡牧師は「進藤先生をどうしても、クリスマスに山形刑務所にお呼びしたくて、ずっと祈ってきました。こうして、私たちの祈りが聞き入れられて、本当に感謝です」と話した。
クリスマスの話と刑務所
メッセージは、クリスマスの話から始まった。マイクを握り、ステージいっぱいまで前に出て、受刑者たちに語り掛けるように話す進藤牧師。それは、受刑者たちを更生へ導くという神の召命を明確に受けた進藤牧師の、生きた「職場」そのものだった。
「羊飼いには2種類の羊飼いがいる。1つは『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる』(ヨハネ10:11)と言われたイエス様のこと。もう1つは、人としての権利もない、裁判の証人にもなれない、人としてさげすまれ、『モノをいう家畜』のような扱いをされていた羊飼いのこと。こういう人のところに、キリストの誕生を知らせに来た。聖書には、キリストが再臨すると書いてある。その時は、刑務所にその知らせを告げに来るかもしれない」とメッセージの冒頭に話した。
人生のやり直しにはギアチェンジが必要
罪友にはたびたび、刑務所から教会へ直行し、助けを求める出所者がいる。電話をしてから教会を訪れる者は少ない。社会から拒絶された彼らは、知らない場所に電話することを極端に怖がり「また断られたらどうしよう」と思うから、直接教会までやって来るというのだ。
「本気でやり直す気持ちがあるかどうか・・・。俺はそれしか見ない。人生を諦めかけ、両親からも捨てられ、一人ぼっちになってしまっても、本気でやり直そうとしているやつを決してイエス様は見捨てない。俺も、少しでもイエス様に近づきたい。だから、俺は本気でやり直そうとしているやつの味方でいたいと思う」と話すと、涙を流しながら話に聞き入る受刑者もいた。
人生をやり直すにはギアチェンジが必要だと、その秘訣を話した。進藤牧師も出所した直後は、前科があることをひたすら隠して生きてきた。肉体労働の仕事を渡り歩き、真夏の暑い最中でも、入れ墨を隠すために長袖を着なければならなかった。
休み時間に汗だくになったシャツを着替えるために更衣室にいると、親方に、体に入っている入れ墨を見られてしまった。「ヤバい・・・また、クビになる」と思ったが、親方は「だからお前、頑張ってるんだな」と声を掛けられた。その声に救われた思いがしたという。
社会で生活するのは、楽なことではない。特に前科者は、マイナスからのスタート。それをよく知った上で、それでも力を振り絞って生きていくことが必要だというのだ。「イエス様は、過去を見る方ではない。しかし、社会というのは過去を見る。『前科者』という言葉は一生つきまとう。自分が犯した罪があるから刑務所に入ったのでしょう。それは、自業自得。自分でやったことの罪を、法の定めに従って償うしかない。しかし、出所した後、新しい人生を始める秘訣は、イエス様と共に一歩を踏み出すことだと思う」と話した。
感謝と使命
最後の受刑となった東京拘置所で、進藤牧師は聖書と出会った。その中で、人生を変えた御言葉に出会った。
「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から」(エゼキエル33:11)
進藤牧師は、この言葉に踊るほどの喜びを感じたと話し、出所をしてから、まず明確なビジョンを持つこと、それから感謝することを忘れてはいけないと、諭すように話した。
「俺も十数年前は、そっち側(受刑者側)に座って牧師の話を聞いていた。最後に説教を聞いたとき、俺は本気で『どうかいつの日か、俺もあの講壇の上で、受刑者たちを更生に導けるような牧者にしてください』と祈った。俺の過去は消すことができない。こうして受け入れてくれる刑務所は、全国でも少ない。でも、あの時祈ったことが十数年後にこうして実現している。イエス様はいつも俺の味方。それをいつもいつも感じている。俺にできて、お前らにできないことは絶対にない! 刑務所にいたことですら、こうして益になっている。ここにいる君たちの気持ちが俺には分かる! だから、どうかビジョンを持って生きてほしい。君たちに会うのは、もう最後になるかもしれない。だから言いたい。どうかイエス様と共に歩んでほしい。出所したら、どこの教会でもいい。教会に行って、本気でやり直す努力をしてほしい」と講演を結び、祈りをささげた。
賛美奉仕に参加した男子高校生は、「今日会った受刑者の皆さんも僕たちも、神様の前では同じ罪人。進藤牧師の話を聞いて、僕たちも祈りが必要だと思った」と話した。
講演後、進藤牧師は「岡先生たちの熱い思いがあって、こうしてクリスマスに彼らを慰問することができた。本当に感謝している。尊敬する中野雄一郎先生からは、『熱には勝てない。進藤には、その熱がある』と言われたことがあるが、熱は僕から発しているのではなく、キリストの愛そのもの。神様の働きによって、多くの方が突き動かされている。これからも、この働きに使命を感じ、牧者として生きていきたい」と話した。