今月で創立11周年を迎える「罪人の友」主イエス・キリスト教会(通称:罪友)。元ヤクザで薬物依存者だった進藤龍也牧師が、11年前に開拓。今までに多くの元受刑者や元不良少年たちを教会で受け入れ、共同生活を送り、聖書の御言葉を語ってきた。彼らが抱えた深い闇を自らの体験と重ね合わせながら、それでも「神はあなたを愛している」と、一人一人と真摯(しんし)に向き合い、彼らが独り立ちするまで伴走してきた。「たとえここに来る数時間前にヤク(覚せい剤)をやったとしても、その人が本当に立ち直りたいと思っていて、もがいているなら、私は彼を受け入れる。神様が私たちに最善の道を備えてくださっていると信じているからだ」と進藤牧師は話す。
ここに来る元受刑者、元不良少年、元ヤクザ・・・。その経歴は決して明るいものではないが、一人一人に話を聞いてみると、彼らに共通することがある。それは、彼らの本質は決して極悪なわけではなく、「少し不器用に生きてきてしまった」人たちであるということだ。今回、インタビューをした林一也さんもその1人。進藤牧師とは、幼稚園時代からの付き合いだ。罪友で唯一、進藤牧師のことを「龍也」と呼べるほどの仲だという。
林さんの生まれは、罪友がある埼玉県川口市。進藤牧師と同じ幼稚園に通い、誕生日も血液型も一緒だという。林さんは、「奇妙なめぐり合わせというか、俺の人生に大きく関わった人物と、まさか幼稚園で出会っているとは、その時予想すらしていませんでした」と話す。
学区の関係で、進藤牧師とは別の地元の公立小中学校に通うことになった。中学1年生になるころ、両親が離婚。2歳下の弟と2人で留守番する日々が続いていた。「寂しいと感じたことは?」と尋ねると、「それはなかったように思う。弟とは当時からけんかばかりしていて、仲は良くなかったが、母親が働きに行っていることで、寂しいと感じたことはなかった」と話す。
離婚がきっかけだったわけではなかったが、もともと勉強が嫌いだったこともあり、学校は面白くなかった。徐々に学校には行かなくなり、登校拒否をするように。昼間は何となく同じような仲間と遊び、日々を過ごしていたという。中学3年間で学校に通ったのは、わずか8カ月ほどだった。
ある日、他校の不良グループと近くの公園でけんかをした時があった。その時に数年ぶりに再会したのが、進藤牧師だった。暗闇の中、「一也か?」「おう、お前、龍也?」と確認し合ったのを覚えているという。卒業後は、担任の勧めで定時制高校を受験。合格したものの、数カ月で学校には行かなくなった。
16歳前後で露天商の手伝いをするように。アルバイトで日銭を稼いだ。露天商の他にもコンビニエンスストアやファミリーレストランのような場所で働いたこともあった。
26歳になるころ、友人をたどって、進藤牧師が自分と連絡を取りたがっているのを聞く。十数年ぶりに再会した進藤牧師は当時、既にヤクザの道に入っており、横にいる「知人」と紹介された人物は、一目で「堅気(かたぎ)」ではないと分かったという。その「知人」こそ、後に暴力団の組長になる人物だった。
「人生のターニングポイントの1つ目が、ヤクザになった時でした。龍也が俺をヤクザに誘い、悪いこともたくさん覚えました。覚せい剤も、今思えば龍也から教わったようなものです」と話す。
数年がたち、進藤牧師が突然、暴力団から姿を消した。林さんは、「あいつ、どこ行ったんだ? 俺を組に誘っておいて、自分だけ逃げやがって」と心の中でずっとくすぶっていたという。林さんはそれから6~7年間、暴力団に残ったが、人間関係のもつれから組を離れた。背中には入れ墨、両手の小指は既になかった。そのような姿になった林さんを、母親は何も言わずに受け入れたという。
それからさらに数年がたった今から4年ほど前、知り合いを通じて、再び進藤牧師が林さんに会いたがっているのを聞いた。風のうわさで「神様の学校に行っている」と聞いていた。「龍也のやつ、ヤクのやり過ぎでとうとう頭がおかしくなったか」と思っていたと林さんは笑う。
数年ぶりに会った進藤牧師は、すっかり変わっていた。そして、「あの時はすまなかった」と林さんに詫びたという。「その言葉で彼を赦(ゆる)すことができました。そもそも、ヤクザになったきっかけは龍也だったかもしれませんが、それを続けたのは俺自身ですから」と話した。
それから誘われるままに教会へ。「最初は龍也の顔を立てて、2、3回行って、行かないつもりだった。しかし、これが、私にとって2回目のターニングポイントになった。ここでも、進藤龍也が関わってくるわけです」と話した。しかし、それから4年。礼拝や教会のイベントにもできるだけ参加してきた。「洗礼を受ける気になってくれないかな・・・」と、一番やきもきしていたのは進藤牧師だったが、焦らすこともなく、ただじっと4年間、林さんを見守ってくれたという。
林さんが洗礼を決断できない明確な理由が1つあった。それは、この世の中でたった1人だけ赦せない人がいるからだというのだ。
林さんの弟はある事件に巻き込まれて、今から10年ほど前に殺害された。「弟も悪かった」と、林さんは事件に関して多くは語りたがらなかった。この事件についての裁判は全て傍聴した。事件後、服役中の犯人から1通だけ、林さんの元に手紙が届いた。「本当に申し訳ないことをした。出所したら、一番に墓前に行って手を合わせたい」と書いてあったという。「弁護士に言われて、情状酌量を求められるよう模範的な手紙を書いたのだと思う」と林さんは言う。既に刑期を終えて何年もたっているが、今のところ犯人からの連絡はないという。
「もともと兄弟の仲は悪かった。だから、殺されたと聞いても涙の一滴も出なかった。でも、犯人に対しては、怒りとか憎しみとかという感情なのか、自分でもよく分からないが、とにかく一度謝りに来てほしいと思う。人の命を殺めたことには違いないのだから。一言謝ってくれたなら、それでこの事件は俺の中で終わりになると思う」と話す。
亡くなった弟は、事件の1週間ほど前、開拓伝道を始めたばかりの進藤牧師を訪ねていた。幼い頃からよく知っていたという進藤牧師は、本当の弟のように思っていたという。
犯人とは何かしらもめごとがあったのか、相手にヤクザが絡んできたことに恐れを抱いての相談だった。しかし、既にヤクザの世界からは足を洗い、牧師になっていた進藤牧師は、「ヤクザなんか相手にするな」とアドバイスをしたという。
最後に彼は「俺も良いことをするようになれば、天国に行けるかな?」と尋ね、進藤牧師は「行けるよ。お前も神様を信じれば、俺が立ち直れたように、お前も絶対立ち直れる」と答えて別れたという。
犯人のことはまだ心の中にくすぶったままだったが、今夏、突然、進藤牧師に「俺、洗礼受けたいんだけど・・・」と告げたという。「心からうれしかった」と進藤牧師は話し、洗礼準備に入った。8月6日、罪友恒例の名栗川(埼玉県)での洗礼式で、受洗の恵みにあずかった。イエスにあって兄弟たちが林さんを慕い、「兄貴」と呼んでくれる弟分もできた。
林さんは、「犯人のことをまだ完全に赦すことはできていない。マーティン・ルーサー・キング牧師は、白人たちに虐げられる黒人たちに『汝(なんじ)の敵を愛せよ。汝を呪うものを祝福せよ。汝を虐げるもののために祈れ。それが私たちの生きる道だ。憎しみには愛をもって報いなければならない』と言ったと聞いたが、俺にはまだそれができない。こんな俺を神様は受け入れてくれるのか不安はあるが、それでも神様にすがっていきたいと思う」と話している。
進藤牧師は林さんの告白に対して、「赦すことは難しい。人は完全じゃないから、神様が必要なんだろ?これからもまた、ともに歩んでいこうぜ!」と答えたという。
罪友は、現在の会堂の立ち退きを迫られている。現在の場所に近い土地に教会を移転したいと、祈り求めているという。犯罪歴のある進藤牧師、また元犯罪者が出入りする教会に物件を貸し出してくれる不動産屋は、今のところない。「教会も大きくなってきた。刑務所から出所してきた人が、その日から住めるようにするためには、礼拝の時間だけ部屋を借りるなどの方法は考えていない。非常に難しいが、神様が必ず道を示してくださると信じている」と進藤牧師は話している。