12月11日、エジプトの首都カイロのコプト正教会の聖堂で礼拝中に爆弾が爆発し、保健省の発表では死者26人、負傷者が49人に上るというニュースが報道された。その後13日には過激派組織「イスラム国」(IS)がソーシャルメディア上で、事件はアブ・アブドラ・マスリという通称の人物による自爆攻撃だったとし、「エジプトやあらゆる場所の異端者や背教者」に対する攻撃を継続するという声明を発表したことが報じられている。中東では近年ISによる、キリスト教会へのテロが続発している。
2015年2月15日には、21人のコプト正教徒(後にうち1人はチャドあるいはガーナ出身と判明)がリビアの海岸で頭部を切断され殺害される様子を撮影した動画が、ISの広報部門とされるハヤート・メディア・センターのウェブサイト上で公開された。
同年1月に、ISによる日本人人質事件が大きく報道される中、最終的に2月1日にはその人質2人(後藤健二さんと湯川遥菜さん)が殺害されたことが確認され、その人質解放交渉の中で取り沙汰されたヨルダン人パイロット(ムアーズ・カサースベ中尉)についても、2月4日に殺害される様子を撮影した動画が公開されるなど、衝撃的な事件が続く中での出来事であった。
本紙でも、この事件のみならず、その後のコプト正教会の反応について翻訳記事が掲載されていた。
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本紙の読者の方々の中には、この事件によって初めてコプト正教会の存在を知った方もおられるかもしれない。今回は、あらためて2015年のこの事件の背景を振り返りつつ、そこから現在コプト正教会およびその信徒たちが置かれている政治・社会状況の一端を明らかにしていきたい。
リビアのエジプト人労働者
リビアという国は、エジプトと国境を接する隣国同士であり、1970年代までは多くのエジプト人労働者がリビアで就労していた。その後、両国の関係悪化やリビアへの経済制裁その他により、エジプトからリビアに向かう労働者の数は減少したが、エジプトからの出稼ぎ労働者は、少数ながらも常にリビアに存在してきた。(参考:The Politics of Egyptian Migration to Libya)
また、リビアにおいては、2011年、指導者のカダフィ大佐死亡を契機として治安が極度に悪化する以前から、エジプト人労働者が拘束されたり、就労許可を取り消されたり、国外追放されたりする事件が後を絶たず、エジプト人労働者に対するリビア政府の扱いはかねてから問題視されてきた。
その観点からすれば、今回の事件はISというイスラム主義武装勢力が引き起こした事件ではあるが、リビアで就労するエジプト人労働者に対する度重なる不当な扱い、暴力行為の一環としても位置付けられる。
なお、コプト正教徒の人々は、エジプト社会の中で特に富裕な集団というわけではなく、中間層、貧困層にも存在し、都市部にも農村部にも居住している。2015年の事件の犠牲者は、中部エジプトの農村出身であり、出稼ぎのためにリビアに滞在中であった。
ISと十字軍
では、そのリビアに出稼ぎに来ていたコプト正教徒の人々はなぜ殺害されたのであろうか?
リビアのISに限らず、イスラム主義武装勢力の多くは、19世紀から20世紀にかけての西洋列強による植民地支配、その結果としてのイスラエルという国家の存在、欧米諸国によるイスラム諸国への軍事介入などを「十字軍による侵略」と捉え、“防衛ジハード(聖戦)”を唱えるという戦略をとってきた。
特にイスラエルと米国を敵視する姿勢は、1998年にアルカーイダが中心となって設立された「ユダヤ人と十字軍に反対する国際イスラム戦線」結成を契機として鮮明に打ち出されるようになったとされる。その世界観は、古典的な「イスラムの家(ムスリムが支配する土地)」と「戦争の家(イスラム法が適用されない土地)」の二分法におおむね基づいている。
2015年に公開されたリビアのコプト正教徒殺害動画には、「血で署名された、十字架の民へのメッセージ(a message signed with blood to the nation of the cross)」というタイトルがつけられていた。
拘束された人々を映し出した場面には「敵対的なエジプトの教会の信徒」という字幕がついており、ビデオのメッセージの中には「十字軍よ、お前たちが一丸となってわれわれと戦うのであれば、お前たちにとって安全はただの望みにすぎないものとなるだろう。そのため、戦争が終わるまでわれわれも一丸となってお前たちと戦う」という部分が確認できる。
また、キリスト教徒を殺害し、その血を海に流すことはウサーマ・ビン・ラーディンを水葬にしたことへの報復であり、さらに「ローマを征服する」とも述べている。字幕には「カミリヤとその姉妹たちのための報復」という部分もある。
これらのメッセージは、リビアのISがこの殺害事件を「十字軍」との戦いの一部と位置付けていることを示している。キリスト教徒は全て、コプト正教徒であれローマ・カトリックであれ、イスラエルや米国と直接関係がなくても、「十字架の民」として一枚岩の存在として捉えられている。すなわち、コプト正教徒の人々はキリスト教徒であることを主な理由として「十字軍」の一部とみなされており、それ故に殺害されたのである。
こうした「十字軍」や「キリスト教対イスラム教」という二分論によって見えにくくなるのが、ISおよび類似の組織が排除の対象としているのはキリスト教徒だけではないという点である。ISは、非ムスリムのみならず、自らの支配に従わないムスリムを排除・処刑の対象としてきたし、ムスリムが大多数を占める各国政府軍、あるいは他のイスラム主義武装勢力とISの間で戦闘も行われている。
あえて指摘するまでもないが、世界は「十字軍(=キリスト教世界)」と「イスラム世界」の二項対立で成り立ってはいないし、「キリスト教世界」も「イスラム世界」も一枚岩ではないのである。
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三代川寛子(みよかわ・ひろこ)
上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻より、2016年に博士号を取得。専門は、19世紀末から20世紀前半のエジプトにおけるコプト・キリスト教徒の文化ナショナリズム運動。現在、上智大学アジア文化研究所客員所員、オックスフォード大学学際的地域研究学院客員研究員。