2015年5月、ソニー・ピクチャーズ配給で3本の映画が日本で連続公開した。ご存じの方も多いだろうが、「復活」「天国からの奇跡」「祈りのちから」の3本である。
これらの前売り券が3枚つづりで3千円という破格の値段で販売されたり、キリスト教牧師たち向けに試写会を各地で開催したり!あの「スパイダーマン」を制作したソニー・ピクチャーズが、この手の宗教映画を積極的に宣伝したことは近年まれなことである。
従来はキリスト教書店でしか購入できなかったチケットも、インターネットで購入できたし、現在ではレンタルDVDでこれらの作品は普通に借りられる。
このようなキリスト教系映画が日本の一般劇場で公開されるようになったのは、恐らく2012年の「ソウル・サーファー」以降であろう。2014年の「サン・オブ・ゴッド」「神は死んだのか」「天国は、ほんとうにある」の3本が公開される頃から、キリスト教界が少しずつザワつき始めた。
この年は6月にダーレン・アロノフスキー監督の「ノア 約束の舟」が公開し、翌年1月には、リドリー・スコット監督の「エクソダス」が公開するなど、聖書ネタ、キリスト教ネタの映画が次第に一般劇場でも見られるようになったからである。メル・ギブソン監督の「パッション」以来、キリスト教界が映画に熱狂し始めたと捉えることもできる。
2017年はスコセッシの超大作「沈黙」が公開!
そして2017年、日本が誇る(?)キリスト教作家、遠藤周作の『沈黙』をアカデミー賞監督のマーティン・スコセッシが映画化するという報に触れたことで、これは単なる一過性のブームではなく、「もしかしたら『ベン・ハー』や『十戒』、『天地創造』などのスペクタクル宗教映画がハリウッドで量産されたあの時代の再来ではないか?」と歓喜の声を上げる者も生まれてきている(「沈黙」に関しては、後日おもしろい企画が進行中である。乞うご期待!)。
確かに日本でマイノリティーであるクリスチャンにとって、一般劇場でキリスト教系の映画を見ることができるのは誇らしいことだろう。日本では東映が「親分はイエス様」を配給したとき、私を含めた多くの友人が映画のチラシを友人たちに配り、「ぜひ見に行きましょう!」と道行く見知らぬ人にまで声をかけたものである(映画は1週間で終わってしまったが・・・)。
近年のキリスト教映画ブームを、映画好きを自他ともに認める私は、基本的に歓迎する。しかし「もう少し作品を選別し、狙いを定めなければならない」とも思うようになってきた。それは2016年に公開した3本を立て続けに見たときに強く感じたことである。
日本人キリスト者が、今後もやって来るであろうキリスト教系映画との「向き合い方」をしっかりと踏まえないと、せっかくの映画が全く反対の結果を生み出してしまうことにもなりかねない。
キリスト教系映画には「信仰追体験型」「未信者用伝道型」「キリスト教新解釈型」がある!?
近年のキリスト教系映画は、大きく次の3つに分類できると筆者は考えている(名称は筆者の勝手な命名です)。
①「キリスト教追体験型ムービー」
②「未信者用伝道ムービー」
③「キリスト教新解釈型ムービー」
以下に解説をしていきたい。
①「キリスト教追体験型ムービー」
聖書の物語を映像化したり、日ごろ教会で語られているキリスト教の教えをそのままアピールするような物語のこと。その目的の多くは、すでに信者となっている人々に対して、「あなたたちが聞き及んでいるこの教えは、絶対に正しいですよ」と訴え掛けることになる。端的に言うなら「教会で教えられていること、聖書で語られていることを映像で再確認し、そこから感動を得る」ための映画。
例えば「サン・オブ・ゴッド」はイエス・キリストの生涯を聖書に忠実に映像化しているし、「復活」もフィクション要素は多々あるものの、基本的にはキリストの復活を史実として安心できる着地点に落とし込んでいる。「マリア」や「パッション」もこの系譜にあると言えよう。古くは「十戒」や「ベン・ハー」にも通ずるスペクタクル映画とも相通ずるところがある。(続きはこちら>>)
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