2011年に自動車会社を定年退職、同時に神学校に入学して日本宣教のために祈る中、日本文化の流れに乗せて福音を広く伝えるよう導きを受けた私は、卒業後の2014年6月、冠婚葬祭事業と高齢者事業を担うブレス・ユア・ホーム(株)の設立に至った。日本の全ての人が福音を知るための仕組みづくりが、私たちの重要なミッションになった。
冠婚葬祭については、結婚式司式が牧師の務めとして一般に知られているが、一度きりの結婚式で福音に触れるだけでなく、毎年のように家族、親族とともに福音に触れ、祈り合う機会を日本の各地に提供したいと考え、定期的に巡ってくる結婚記念日、記念会、誕生日会などに新しい祈りの形を創ることを目指した。
しかし、当然のことだが、習慣化されていない新しい冠婚葬祭を、特別な料金を払ってお願いするような依頼はなく、会社の事業としては難しかった。神様の導きに間違いはないが、不安な日々が続いていた。
そんなある日のこと、教会を離れたクリスチャンの葬儀司式依頼が舞い込んだ。教会を離れたといっても、クリスチャンの友人もおられ、牧師のつてもありそうだったが、司式を頼める牧師がいないということだった。一度教会を離れると、教会の牧師には直接頼みづらい現実があるようだ。
当社の会社案内に葬儀司式の記載はなかったが、毎月のように依頼が寄せられた。いずれも頼める牧師がいないという緊急の依頼だった。私は、急きょ全国からの依頼に対応できるように、それぞれの地域への出張ルートを確認し、全国に対応する旨のホームページを立ち上げた。
数カ月後、九州からの依頼があった。行ったことのない場所だったが、できるだけ効率的なプランを立てて対応した。とても良い時間を共有させていただいたが、請求書を差し上げる際、交通費の割合が増えることや、葬儀後に続く納骨式や記念会への対応が容易でないことに大きな課題を感じた。
そこで私は、この働きに共感してくださる全国の牧師先生と連携して、「葬儀から日本宣教」プロジェクトを立ち上げ、教会訪問や講演、シンポジウムを繰り返すようになった。ありがたいことに1年後には、応援してくださる先生方が増え、遠方での司式対応に道が開かれてきた。先生方の中には、生前から訪問してくださる方や、葬儀後に遺族に寄り添い、納骨式、記念会に続けて対応してくださる方もいて、継続的な福音宣教の形を見させていただいている。
全国から寄せられる葬儀相談はさまざまである。九州や北海道から、なぜ見知らぬ神戸の会社に電話をかけてくださるのか不思議に思うこともある。おそらく株式会社へのサービス依頼という気安さもあるのだろう。名乗らないで要件だけを話される方もいるが、サービスを提供する会社への問い合わせならそれで十分である。
しかし、時には深刻な話になることもある。娘が突然亡くなり、葬儀の相談で電話をくださった男性は、話しているうちに、娘が本当に天国に行ったのか?供養をしないと天国に行けないのではないか?と矢継ぎ早に質問されてきた。召された娘をいとおしむ父親の気持ちが伝わってきて、いたたまれない気持ちになった。
今から自殺を考えているので葬儀の相談をしたい、という若い男性からの電話の応答には肝を冷やした。奥様が自死され、直後に葬儀を淡々と依頼されるご主人の言葉に引き込まれ、涙を流すこともあった。
全国からの葬儀相談を受ける牧師が、24時間対応の電話を持つことの意義と重要性を、今では深く認識するようになった。私のような者に、そのような電話を託してくださった主に応えたい思いが、今の私を支えている。緊張の続く仕事だが、やめるわけにはいかない。今後の電話件数の増加を見越して、情報管理センターの役割を担える社内体制を整備したい。
しかし、電話をかけてくださる方にとって、そこはあくまで相談や依頼という入り口にすぎない。実際に葬儀前後に依頼者に寄り添い、福音をお伝えしていくことは、それぞれの地域にある教会や牧師先生にお願いしなければならない。寄り添い方はさまざまだが、生前に寄り添うことも、遺族に寄り添うことも、実は、神様が最初に示された冠婚葬祭事業や高齢者事業そのものになり、やがて教会の働きとなっていく。
全国から寄せられる相談や依頼を受け取る情報管理センターとそれぞれの地域で寄り添う地域拠点の働きは、車の両輪のようなものである。ブレス・ユア・ホーム(株)発足から2年半、神戸においてその両輪の大切さを教えられ、その一端を担わせていただく貴重な体験を積んできた。
そしていよいよ来年は、神戸の拠点はもちろんのこと、全国の活動拠点を立ち上げ、神戸に寄せられる全国からの情報を正しくお伝えし、地域拠点の働きを支えていけるようになりたいと願っている。この働きが、地域教会の宣教の働きを後押しし、日本の各地に福音が届けられ、天来の祝福が満ち溢れることを心より祈っている。
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