「キリスト教葬儀から日本宣教を考える」拡大シンポジウム(「葬儀から日本宣教」実行委員会主催)が18日、東京都千代田区の御茶の水キリストの教会で開催された。日本同盟基督教団土浦めぐみ教会の清野勝男子(せいの・かつひこ)主任牧師とブレス・ユア・ホーム株式会社代表で牧師の広田信也氏が講演し、各地から集まった約80人と共に、葬儀を入り口とした日本宣教の新しい在り方について考える時を持った。
初めに、広田氏が「葬儀から日本宣教のビジョン」と題して講演した。トヨタ自動車のエンジニアを定年退職したのち献身し、牧師となった広田氏が立ち上げたブレス・ユア・ホームは、「キリスト教葬儀」を全国に幅広く展開し、日本での福音宣教を拡大する働きを提案している。
広田氏は、「日本で宣教がなかなか進まないのは、絆の強い教会共同体の中に入ることを、未信者に要求しているため」だと考え、「福音を届けやすい形」ということで「サービスを提供する株式会社」の形態をとったのだという。
広田氏は、毎日国内で4千人もの人が亡くなり、その中でキリスト教葬儀を執り行うのはわずか数十人だと述べ、「この他にも本当はキリスト教葬儀をしたいと思っている人はたくさんいる」と語った。
また、最近では葬儀をやらず、火葬場へ直葬する人たちも増えているが、「本当は寄り添う人が欲しいはず。ただ、それが誰なのか分からない。でも、牧師ならば生前から寄り添うことができるし、遺族にも寄り添うことができる」と話し、自身が提案するキリスト教葬儀が、葬儀だけで終わらず、葬儀を通して福音を継続的に伝える仕組みになっていることを説明した。
広田氏は、今後高齢化が進み、年間150~160万人が亡くなっていく中で、教会がどれだけ葬儀に関与できるかは非常に大事だとし、未信者への葬儀も含め、キリスト教葬儀を拡大させたいと、地域で協力してくれる牧師たちに呼び掛けていると話した。
広田氏は、「『葬儀から日本宣教』のシナリオを作って、全ての日本人に伝えていきたい」と今後のビジョンを語り、参加者に協力を呼び掛けた。そして、「祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(ペトロⅠ3:9)と御言葉を語り、祈りをささげた。
続いて登壇した清野氏は、前半は日本宣教を考える上での葬儀の重要性と未信者の教会葬儀の是非について神学的根拠から語り、後半はケーススタディーとして自らが牧会する土浦めぐみ教会を取り上げ、未信者の葬儀についての要点などを解説した。
「地域こそ第一の伝道の場」だと考える清野氏は、教会葬儀に参列する未信者には、キリスト教葬儀の意味をしっかり説明し、誤解を避ける努力が必要だと強調した。「参列する人は未信者が多いはず。未信者にどういう配慮をしているかが大切で、丁寧な対応が重要」と話し、土浦めぐみ教会では、教会葬儀に関する「説明文」を用意していることを紹介した。
続いて、未信者の教会葬儀は行わないとする神学的根拠について、「死後の世界が曖昧になり、キリストの唯一性が失われる危惧から」「特別恩恵からくる対極的理解(罪と赦[ゆる]し、滅びと救い、信仰と不信仰、地獄と天国)から」「牧師にとって未信者の葬儀における説教が困難だから」の3つを挙げた。
その上で、信者・未信者にかかわらず、全ての人に注がれる神の恩恵である「一般恩恵」を用いて、未信者へのキリスト教葬儀の可能性を説明した。一般恩恵とは、罪と咎の中に死んでいる人類でも、直ちに滅ぼすことなく、救いの可能性を残しておいてくださる、神様の好意的姿勢だ。
清野氏は、この一般恩恵に基づく未信者葬儀をする場合の注意点として、葬儀は伝道の場でなく、遺族を慰め、遺族と良い関係を築く場であることや、特別恩恵の視点から「十字架の救い」や「永遠のいのち」には言及しないことなどを挙げた。
未信者葬儀の説教で難しいのは、未信者の死をどう表現するかだ。清野氏は、「未信者であっても、個人に『生』を許された神がおられる。私は体もいのちも創造された『いのちの創造者』を強調し、『いのちの創造者のもとへ帰る』と表現する」と話した。
また、キリシタンの宣教師たちも日本の葬儀の重要さをよく知っていたという記録が残っていることを紹介し、葬儀はキリシタン信仰の宣教の1つの鍵であったことを伝えた。
清野氏は、「教会が葬儀を大切にし、かつ未信者葬儀を行うことは、神学的、文化的、教会的、宣教的、歴史的、人道的にふさわしいのではないか」と話した。
次に清野氏は、土浦めぐみ教会で実践してきた具体的な試みについて紹介した。同教会では、仏式葬儀文化の中にありながら、聖書の意味が明確に表明され、それでいて地域社会から拒否されないよう配慮したキリスト教葬制文化を開拓してきたという。
清野氏は、その試みはイエス・キリストを知る絶大な価値を伝えるために、教会が地域社会にしっかり土着するための必死の努力であったとし、「模倣ではなく、それぞれの文化圏にふさわしい開拓が必要」と語った。
日本の慣習となっている儀礼の機能を無視しないことが重要だと清野氏は話す。そうでないと、人々の心に不安が生じることになるからだ。そのため、ある儀礼を拒否するならば、儀礼が持つ代替となる「聖書的意味を持つ儀礼」を開拓する必要があると指摘する。
同教会では、仏壇に代わる家庭祭壇や、中国語の聖書から御言葉を引用して戒名に替わるものを考え、その家の墓誌に刻むなどしている。また、福音や信仰の希望については、言葉だけでなく、シンボリズムを用いて語り掛けることも行っている。例えば、祭壇で聖書が約束する意味を花で表現するなどだ。
納骨堂は、同教会の敷地の真ん中に建てられている。清野氏は、人質をもじって「骨質」と呼ぶ。「遺骨が教会にあることで、その家族や親戚は教会に来ざるを得ない。遺骨によって教会とずっとつながることになる」と納骨堂の役割の大きさを強調した。
この日は、シンポジウムの協賛団体でもある株式会社 創世 ライフワークス社代表の野田和裕氏も登壇し、これからのキリスト教葬儀について話した。同社は、キリスト教精神を土台とし、葬儀という立場から、主イエス・キリストの福音を志し、証しを立てることを目指すキリスト教葬儀専門会社だ。
野田氏は、これからはますます地域が重要になると話し、地域に根差した教会のクリスチャンたちが手を取り合って、終活、葬儀といったことに取り組む必要があると強調した。
野田氏は、「これからの高齢者は、結婚式をキリスト教式で行った世代。お葬式も教会でと考えるのではないか。そうなったときの対応を考えておく必要がある」と語った。さらに、礼拝や祈祷会以外、あまり教会堂が使われていないことに着目し、空いている時間帯に教会堂を地域の発信の場として開放することなども提案した。
最後の質疑応答では、葬儀に対する費用や納骨の手続き、祭壇の飾り方といった具体的なことから、納骨堂を建てるスペースの問題、近隣とのトラブルに対する不安、未信者の葬儀を認めることの難しさなど、参加者から多くの質問や意見が出され、清野氏と広田氏はその一つ一つに丁寧に答えていた。