福音を日本文化に載せ、日本の津々浦々にまで届けることを目標に、2014年6月、ブレス・ユア・ホーム株式会社を設立した。当初から私の内にあった願いは、日本の多くの家庭に受け継がれている仏教式法事の習慣を、キリスト教の記念会に移行させたいということだった。
日本の家庭内でキリスト教記念会が習慣的に続けられている例は珍しく、寄せられた相談が実現に至らないこともあったが、今年になって徐々に依頼が入り始め、今も増加傾向にある。簡単な墓前礼拝の依頼が多いが、比較的準備時間が確保できることもあり、牧師先生がサプライズを用意してくださったり、ご家族の良い交わりの機会になったりしている。
依頼をしてくださるのは、所属教会のないクリスチャンが多いが、中には未信者家族からの依頼もあり、キリスト教の良さが予想以上に教会外に伝えられていることを感じている。今後、多くの牧師がそれぞれの家庭に遣わされ、さまざまなスタイルの記念会が生まれることを願っている。
また最近の傾向だが、仏教界において、従来のような大きな仏壇が売れなくなり、仏壇屋がコンパクトでモダンな家具調の祭壇を販売するようになったため、キリスト教の家庭祭壇にそのまま使えそうなものが増えてきた。家庭祭壇が普及すれば、仏壇の前に集まっていた人々が、キリスト教の家庭祭壇の前で天国を思いながら祈るようになるのも夢ではない。
一方、キリスト教会では、従来から合同の召天者記念礼拝が持たれている。この記念会自体は大変素晴らしいものだが、未信者の多い日本では、家族がそろって教会を訪れるのは難しいように思う。まして家族親族だけで仏教式の法事を長年続けてきた家庭にとっては、他の家族と一緒に集う記念会には違和感を覚えるだろう。
また、欧米文化の影響を受けた教会に受け継がれたキリスト教には、日本人が大切にしている「先祖儀礼」の要素がほとんど含まれていない。むしろ個人の信仰や考え方が尊重され、それらを資格として形成される「教会」を立て上げることが強調されてきたため、聖書の中に示される「先祖儀礼」の大切さを十分に表現できない可能性がある。
仏教葬制文化の下で、「先祖儀礼」を大切に、家族親族だけで法事を行ってきた日本人に対し、キリスト教が先祖を大切にしていないといった印象を与えることになる要因がここにも存在している。
本来、聖書に示される神は、ご自身を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と名乗られたように、先祖とのつながりにおいてご自身を現される方であり、同時にアブラハムに満天の星を見せて子孫への祝福を約束される方である。私たち聖書信仰を持つ者は、先祖だけでなく、子孫を含む家の共同体を意識して神の前に立つことができるはずである。
牧師がそれぞれの家庭を構成する人々に「先祖儀礼」の心を持って寄り添い、家族構成に合わせた最善の記念会司式を提供できれば、多くの家庭に家族礼拝の習慣が生まれ、未信者が定期的に福音に触れることになる。私たちは、日本の福音宣教の扉の1つがここにあると考えている。
もちろん、家族ごとの記念会を実施するには注意すべき点がある。日本文化の中には、「先祖儀礼」だけでなく、「先祖崇拝」や「供養」という非聖書的な要素が存在するからだ。
本来、「先祖儀礼」に無関係であった仏教が、いわゆる「葬式仏教」に変貌し、先祖儀礼⇒崇拝⇒供養といった活路を見いだしていったのは、日本文化の中に先祖とのつながりを大切にする要素がもともと強く存在していたからである。もしキリスト教の記念会が、しかるべき指導のないまま各家庭で行われるなら、この「先祖崇拝」や「供養」といった非聖書的なことから逃れることは難しいだろう。
日本の家族内で行われるキリスト教の記念会は、聖書に記される「先祖儀礼」の精神を受け継ぎ、先祖に対する感謝と尊敬を表し、家族を支え、将来の子孫の繁栄をも約束してくださる神様を心から礼拝するものになってほしい。与えられた神様の恵みを伝えることによって、「先祖崇拝」や「供養」の必要がないことを説明する機会も持ちたいものだ。
長い間、日本社会を覆っていた仏教葬制文化をキリスト教葬制文化に載せかえることは、一朝一夕にはできないだろう。しかし、キリスト教が教育や福祉、あるいは結婚式などで日本人に与えてきた良い影響は、キリスト教葬制文化の拡大、浸透に確実につながりつつある。
私たちは、仏教葬制文化の中で培われた良い習慣を学び、それを受け継ぐことも忘れてはならない。良いものを受け継ぎ、捨て去るべきものを除き、そして福音の恵みをその中に伝えてこそ、日本社会に根付く新しいキリスト教葬制文化の誕生となる。
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