私たちの教会は小さい教会です。教会堂は立派な教会堂が与えられていますが、礼拝に集う群れは小さい群れです。時々、小さいということに無力感を感じることもあります。音楽礼拝などをすると、ご近所の方々が大勢いらしてくださいますが、引き続き普段の礼拝に来てくださる方はほとんどありません。
私の心は礼拝の出席者数によって喜んだり沈んだりの繰り返しであります。なんとかこの状態を突き抜けて、成長へのサイクルに入ることができないものかと、もがくこともあります。
しかし、主は私の考えが間違っていることを教えてくださいます。私のなすべきことは、ただひたすら神の御言葉を宣(の)べ続けることだけだということ、主が送ってくださる方々にお仕えすることだけだということ、聖霊に満たされて忠実にご奉仕をすることだけだということ、結果については主ご自身が責任を取ってくださるから、私が心配する必要はないということを教えてくださっています。
最近、C・S・ダッドリという方の書かれた次のような文章に出会いました。
「大きな世の中で、小さい教会は親密さを保持している。変化の速い世の中で、小さい教会は安定している。ぜいたくな世の中で、小さい教会は質素に生きている。複雑な世の中で、小さい教会は単純さを保っている。合理主義的な世の中で、小さい教会は心を大切にしている。流動性の高い世の中で、小さい教会は錨(いかり)のような存在になっている。匿名の世の中で、小さい教会は一人一人の名前を大切にしている」
小さい教会は小さいなりに、かけがえのない役割を担っているということをこの文章で教えられました。大きいことが素晴らしい、と普通は思われていますが、「小さいことは美しい(Small is beautiful!)」ということに誇りを持っていきたいと思います。
確かに私たちの教会は小さい群れですが、礼拝後の交わりの時に、こんなに親密な家族のような交わりが他にあるだろうか、と思うことがしばしばあります。大きいことも良いことかもしれませんが、小さい教会にはそこにしかない大切な役割と存在意義があることを再認識しているこの頃です。
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