1976年、無名の俳優を主演に据えた1本の映画が全米を、いや世界を席巻した。物語は、うだつの上がらないボクサーがヘビー級チャンピオンからの挑戦を受け、ボロボロになりながらも奮闘するというもの。ご存じS・スタローンの「ロッキー」である。ご覧になったことがなくとも、タイトルくらいは聞いたことがあるだろう。
この映画がヒットした要因はいろいろある。その中で最大の特色となっているのは、主演のスタローンが劇中のロッキー・バルボアと同じく無名な存在であったのに、俳優として努力し続ける中でチャンスをつかみ、映画界の最高峰であるアカデミー賞を獲得したことにある。
人気の秘密は、役柄と俳優がシンクロすることでリアリティーが高められたことにあった、と言っていい。無名の存在が一躍スターダムにのしあがるという構造は、誰もが拍手喝采する。どんな人にもチャンスは平等に訪れ、ひたむきに努力さえすればきっと描いた夢はかなう、というポジティブなメッセージを受け取るからであろう。
このような希望のメッセージを生み出し、今なお発信し続けているのが「アメリカ」である。これを一般的に「アメリカン・ドリーム」と言う。実は米国大統領選挙は、この「アメリカン・ドリーム」を体現してきた歴史を持っている。今回は米国人が抱く「夢(=共通の未来)」をモチーフに、大統領選挙を考えてみたい。
そもそも米国という国は、私たち日本も含めた他国と根本的に異なった歴史を持っている。それを大胆に表現するなら、「人工的に作り上げられた実験国家」ということになる。
ご存じのように、米国は建国250年足らずの若い国家である。メイフラワー号でピューリタンたちがヨーロッパを逃れて新天地に赴き、そこで「神の国」を設立した、ということになっている。
「純粋にキリスト教信仰で国家を形成したらどうなるか」という壮大な「実験」によって、米国は意図的に生み出されたのであった。一例を挙げるなら、1630年にマサチューセッツ湾植民地へ入植したジョン・ウィンスロップは、新天地に降り立つ際にマタイ5章14節から「丘の上の町」という説教をしている。
この時以来、「神との神聖な契約の下に、新しい社会が創設された」という意識が人々に受け継がれていく。「神に祝福されている諸州の連合体」という前提に立って、国家としての「アメリカ」は生まれてきたのである。
このことを端的に言い表したのが、神学者のJ・モルトマンである。彼は次のように述べている。
「アメリカは共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の個別の民族的アイデンティティーへと逆行してしまう国である」
これを敷衍(ふえん)して、森孝一(現神戸女学院院長)は、こうまとめている。
「『共通の過去』を持たないアメリカを統合するものは、『共通の未来』としての理念、理想、信条しかない」
この「理念、理想、信条」のサブカルチャー的な表明こそ、ここで言う「アメリカン・ドリーム」である。どんな出自であっても、チャンスをつかみ努力さえすれば、神に祝福された国家(=アメリカ)では成功を手にすることができる、という考え方に基づいて「共通の未来」がビジュアライスされている。この地で輝かしい未来を必ず享受できる、という「信仰」が継承されていくのである。
さて、こういった意識を前提に大統領選挙を考えるなら、これは単なる政治家のトップを選ぶというだけに留まらない。立身出世を成し遂げた成功者、軍事的司令官、そして神の前に国民を代表して立つ宗教的指導者を選出するという意味合いが付帯してくることになる。
全権委任して国のかじ取りを任せるに足る人物を、直接選挙(のような形態)で選び出す。これは国家挙げての一大イベントである。人々の注目度も他の行事とは比べ物にならないくらい高くなる。各政党候補者への国民の期待や願望が異常なまでにヒートアップするのもうなずけるというものだ。
ここで「政治」と「宗教」について、ひと言付け加えておきたい。一般にこれら2つは「政教分離」によって正常に保たれる、と言われるが、米国の場合、これには当てはまらない。
日本的な意味で「宗教」と「政治」を分離する考え方はなく「特定(キリスト教)教派」と「政治」とに距離を取る程度のものであって、政治の中にキリスト教性(宗教性)が混在していることに何の抵抗もない。
だから各候補者の宗教が経歴の一部として公開されることになるし、これに抵抗感は全くない。ちなみに2016年の候補者の宗教的背景は、以下の通りである(●が各党の代表候補者)。
共和党
● ドナルド・トランプ → 長老派
テッド・クルーズ → 南部バプテスト派
マルコ・ルビオ → カトリック民主党
● ヒラリー・クリントン → メソジスト派
バーニー・サンダース → ユダヤ教
このような背景を持った者たちが、表面的には横一線で王になるためのレースを走り始める。上述の「ロッキー」よろしく、全ての米国民にチャンスと可能性があり、努力さえすればその「夢」はかなう。
それを体現することができた者は、国の為政者であると同時に、国民からの一番の尊敬と人気を勝ち取ることになる。ちなみに上述したS・スタローンは、今でも根強い人気を誇る俳優としてハリウッド殿堂入りを果たしている。
同じように、「アメリカン・ドリーム」を体現した「大統領」は、他国の指導者にはない異彩を放っている。毎年末に、ギャラップ調査が「米国人が尊敬できる人ランキング」を発表している。そこで常に上位を占めるのが自国の大統領である。ちなみにオバマ大統領は、就任前から第1位で、そのまま在任期間中は首位をキープしている。
そして毎年上位にランクインする歴代の大統領の中で、常に1、2を争うのは、アブラハム・リンカーンとジョン・ケネディである。リンカーンは「丸太小屋から大統領へ」という成功神話の第一人者であり、ケネディは「若きリーダーシップ」の体現者として人々に「共通の未来」を描かせる「アメリカン・ドリーム」の象徴と言える。
おそらく来年から、ここに退任したバラク・オバマが恒常的に加わることになろう。筆者は2011年にメンフィスにある「公民権運動博物館」を訪れた。博物館の入り口には大弾幕が掲げられ、「奴隷から大統領へ」と書かれていたことが忘れられない。彼もまたアフリカ系アメリカ人たちにとっての「アメリカン・ドリーム」の旗手となっていた。
このように米国の大統領選挙は、単なる「指導者選び」という枠を越えて、国民的行事となり、これに加わることを通して米国民は「共通の未来」の確からしさを実感し、安心することができる。
これは、米国挙げての「アイデンティティー再確認作業」である。そういった意味で極論するなら、どんな人物が選ばれようとも米国民は当選者にエールを送り、星条旗を掲げ、「今日もアメリカは安泰である」と安心しながらテレビの前で就任式を見ることであろう。
彼らが求めているのは、今日と同じく明日も「アメリカン・ドリーム」が有効に機能している様を実感することなのだから。
次回は、トランプ氏の発言を元に2016年の選挙を概観していきたい。
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