台湾史上初となる無所属の台北市長が2014年12月に誕生した。これは、台湾では歴史上の大変革を意味する。独特の市政運営が国内外で話題となり、台湾では「変人」とまで称され、日本では「スーツを着ない市長」と取り上げられた。台北市をより良くしたいと自分のできることは即行動で実現する。
今回は、今までにない新風を吹かせたいと政策に取り組む台北市長・柯文哲(コー・ウェンチョー)氏の人柄と台北市への思いに迫った。そこから見えた新しい台湾とは。インタビュー形式で紹介する。
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―お会いするのを楽しみにしていました。日本でも人気がある市長です。
初めまして。ありがとうございます。
―就任されてから2年ばかりたちますが、今の心境は。
現在の心境について2文字で表現させていただきます。それは「平静」(へいせい)です。落ち着いているという意味です。
―平静とはユニークな表現ですね。
やるべきことをやるしかない。それだけです。
―市長に就任する前の台北市の財政について教えてください。
正直言いまして台北市の財政は、他の地方自治体に比べても問題はなく極めて健全だといえます。
―日本で大きなニュースとして台北市駅前の道路の撤去が話題になりました。なぜこんなに簡単に変えられたのですか。
あの道路問題は、大きな渋滞を引き起こしていました。実は就任した当日の夜に撤去しました。私はそもそも外科医なので、メスを入れるときはすぐにやります。決断が早いのだと思います。
―悪いものはすぐに取り出すということでしょうか。
ええ、その通りです。
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この問題は、台北駅周辺道路の公用車専用レーンが慢性的な渋滞を引き起こしていたもので、8年以上も棚上げにされていた。自身の公約であった解決策を、就任した夜に着手。その日の夜のうちに撤去を完了させた。
これは台北市民だけでなく、タクシー業界からも驚きとともに広く支持を得た。市内を走るタクシー内でも市長の写真が掲げられるなど、人気の高さをうかがわせた。
市長は今までになく早急でかつ確実なメスを入れ、市政を変革している。誰も気が付かなかったことや、野放しになっていた問題をいち早く解決している。
観光名所で法輪功(中国の気功術の1つ)学習者らが中国共産党支持団体から暴力を振るわれる事件が後を絶たないが、市長は次に起きた場合は警察局長を更迭すると警告。これに多くの市民や労働者から「賛成」「支持」の声が湧き上がった。市長は、正しいことを誰もができる公平な社会の実現を目指している。
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―東京を視察されたそうですね。東京駅前でインタビューに応じる市長や自動販売機を視察する様子が国内で報道されました。東京の印象は。
台湾の人々は、東京の印象はきれいで清潔な町だと言います。私もその通りでした。空港を降りて感じることは、きれいだということです。
―台湾はとてもきれいです。
(苦笑いをしながら)いやいや、日本に比べればそれほどでもないのでは。しかし、日本と街並みは似ていませんか。親近感があります。台湾はその他の国に比べてきれいな方だといいますが、日本ほどではありません。それは事実ですね。
―東京都知事の政治資金流用(いわゆる政治とカネ問題)が世界発信されています。ご意見はありますか。
それぞれの国の法律とモラルがありますので私からのコメントは差し控えたいです。ただ、政治家のモラルに対する日本人の要求は厳しい方ではないかとは感じることがあります。
―市長はスーツを着ないとか運動靴スタイルというラフな姿が有名です。無駄が嫌いで医者の目で悪いものにメスを入れるという市政運営も有名ですが、取り組みたい政策はありますか。
ひと言で言えば「企業文化」を構築することです。1つの行政チームをつくり、間違いは間違い、正しいことは正しいと共通認識を持つ、そのようなチームが必要です。そして「正直さ、誠実」、これを作り上げていきます。ここは台湾全体として欠けていると思います。
もう1つは専門へのこだわりです。日本語で達人という言葉がありますが、職人文化を取り入れていく必要があります。最後は奉仕です。社会への貢献です。台湾人は奉仕をする精神がまだ足らないように思います。
―具体的にその奉仕とは?
私を見て理解してくださればと思います。奉仕、奉公というものは、具体的に政府の便宜や利益を自分のものにしない。公のものを大事にする。利害の精神をなくしていく。奉仕の精神があればかなうことです。いまひとつ台湾には足りません。台湾人の気質として、個人的な利害を犯すことはしないが、公、政府の利害であれば気にしないという部分があるように思えます。
―台湾史上初の無所属で立候補され、当選をしましたが、なぜ市長を志したのですか。
台湾の次の世代では、公平、公正、正義、つまり普遍的な価値観であるこれらを実践できる社会にしていきたいと考えたのです。53歳まで、私は台湾大学の教授でした。附属病院の医者であり、集中治療室の主任でもありました。そのような歩みの中で、次の台湾の世代に何かを残すべく考えた末、出馬という決意に至りました。
―市長の政策は、物事をただ左右に分けるだけでなく、協和という路線も大事にしていると思います。それは、公平、公正、正義、3つの構築ということでしょうか。
はい。その通りです。
―日本と台湾には大きな壁があります。それは、正式に国交がないということです。しかし、東日本大震災では200億円という義援金が台湾全土で寄せられ、市長を含め、多くの方が復興のために働き掛けてくださいました。本当にありがとうございます。なぜ、日本にこのような支援をしてくださるのでしょうか。
よい質問だと思います。世界的に見ても、台湾人は最も日本へ親近感を持つ国民です。それにはいろいろな理由や歴史的背景があります。統治時代が50年続きました。ですから深いつながりがあることは当然です。支援にしても、絆があるからこそできることでしょう。私の親の世代はみな日本語を話しています。
―震災では多くの人が悲しみ、多くを失いました。しかし、震災でこのように人と人の輪を通じて得たものもあるかもしれません。日本と台湾の絆がより深まったように思います。
絆。その通りですね。台北駐日経済文化代表(東京都港区白金台)の謝長廷(チャー・ティオンティン)氏と話しました。彼は日本へ出発する前に、私にこのように言いました。「都市と都市の姉妹関係を締結していきたい」。私も地方自治体同士の関係強化を期待していますし、目指してまいります。
―やはり日本と台湾の国交樹立は必要でしょうか。
(大きな笑い)台湾は常にそのように考え願っています。しかし、日本にはその度胸がない。問題は日本にあるのではないでしょうか。
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台湾のナンバープレートには「台湾省」と表示されている。これは中国本土から見て台湾は国ではなく、あくまで中国の一部「省」であるからだ。記者からの素直な疑問に「よく気が付いた」と市長は笑いながら応じてくれた。
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―市長のビジョンは。
対外的に言えることもありませんし、偉そうなことは言いません。大きなビジョンというものでもありません。ただ毎日「やるべきことをきちんとやる」、これしかないと思います。
私は25年間医者でした。17年間集中治療室の主任でした。常に生と死を見てきた。そこで感じたこと、学んだことは、今述べたように「やるべきことをやる」ということです。
―日本の若者にひと言お願いします。
これは台湾人にも日本人にも同じですが、毎日を楽しく過ごしてもらいたいと願っています。どうぞ、充実した日々を楽しく過ごしてください。
私は大きなことは言いません。ここが外科医と弁護士の違いだと思ってください。台湾の政治家は弁護士出身が多く、話は長いが実践力は弱い。アクションがないということです。
―たくさんの人が台北を訪問してほしいです。台北市の魅力は。
台湾人は、世界の人からも親しみやすいと言われます。よく言われるのは、台湾で最も美しい風景は、実は人間だということです。フレンドリーで客をよくもてなします。何より安全ですから。
私は台湾大学を卒業しましたが、建物が大正時代の建造物です。日本の方が見ても統治時代の物を使っているので、なんだかタイムスリップしたような気持ちになれると思います。懐かしい面影があるといいますか。
―ご両親について教えてください。
どうぞ、どうぞ、聞いてください。
―自分の息子は絶対に曲がったことはしないとお父様はおっしゃっていましたが。
「子どもは親の媚(こ)び」という言葉があります。しかし、父は口数が少ないです。母は知恵の人です。私は言葉で失敗しやすいのですが(笑)母はしません。私の父は完璧な日本語を話すと思いますが、実際はどうでしたか。
―はい。
実は、私は小さい時は日本語を話せたのです。(日本語で)「まあ少しです」(笑)。母親は日本で台北のことをおおいに宣伝していました。先日来日した際に内閣府を表敬訪問しました。私の父は中国語より日本語の方が上手みたいです。温かな2人です(笑)
普段は読書をしていますが、日本語の書籍を読んでいます。私は小さい時は日本語を話せましたが、学校で使ってはいけないと言われましたので・・・(日本語で)「もっと勉強します」(笑)。今は日本語を使う機会はないですが、必ず日本にまた行きます。
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台北市長は現在、昨年5月から工事が中断している台北ドーム問題で対応に追われている。
安全対策や隣接する古跡への影響を考慮し、見直しを求める市長側と、工事請負業者の遠雄グループとの法廷争いへと発展。政治的な深い意味合いも絡めながら、疑惑追及へと発展している。市民が注目する大手企業スキャンダルだ。
今回、市長側からこの件で報道希望があり、質問をぶつけてみた。
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―台北ドーム問題で裁判へと発展し、市長は大きな課題を突き付けられていますが、この件についてコメントをお願いします。
この問題は、まあ、そのうちに解決していきますから、気にせず何でも聞いてください。
申し上げて即行動。悪いものは悪い。ドーム問題も政治も、私の信念はやるべきことをやっていくが原則です。ですから安心してください。必ず成し遂げます。もちろん、頭を悩ませることは政治でもあるのですが、きちんとやるしかありません。
―ドームの問題にしても、市民の理解と協力はより必要だと思います。市長はどのように市民と協力をしたいですか。
はい。もちろんコミュニケーションは大切です。私は政治家の1人として世界を変えていきます。世界(世論)に適応するのではなく、行動をしていくことです。実現する力と迫力も時に必要だと考えています。
―どのように情報を発信していますか。
絶えず市民へ発信をしています。このケースでは、政治的なリーダーとしてだけでなく、文化人としての思いをどう広げていくかがポイントだと考えています。
―市議会は傍聴できるのでしょうか。どのように市民へ情報を配信していますか。
議会は傍聴ができます。透明化を大切にしています。SNSも配信していますし、リアルタイム放送もしています。ここでは「電波者」という言葉を使わせていただきます。いかに文化を広めていくかでしょう。
―これならば台湾、そして市民は安心ですね。展望は明るいと思います。
ええ、ありがとうございます。
―ご自身の性格について教えてください。
(笑)難しい質問ですね・・・。こだわるところでしょうか。一番は、ぶれずにこだわることですね。正しいことかどうか突き詰めます。性格はねばり強いと思います。
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ネクタイをしない。スーツにこだわらない。運動靴スタイルと自然体で話しやすい人柄だ。市長のこのようなスタイルは、台湾では今まであまり考えられないことだそうだ。
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―職員の皆さんもそう思われますか?
(一斉に大笑い。「そうですね」「はい」)
どこまで日本で報じられたか分かりませんが、私の台湾自転車走破についてはご存じでしょうか。選挙期間中に台湾を北から南まで520キロ、28時間連続で自転車走破しました。
このアクションは、スポーツマンではない自分もやればできることを精神力と実行力、そして、意志力という形でPRしたかったのです。考えてみてください。520キロを走るのです。人々ができないと思っていることも、行動力で示しました。文化人としての意思表示です。
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台湾で市長を支持する多くの人と意見を交わす機会があった。最後に今回の台湾取材をコーディネートしてくれた謝明珠氏を紹介する。
彼女は成員企業有限公司の取締役で日本との交流、公的な立場での来日や講演も数多くこなす実業家の1人。台北市政府顧問として人望も厚い。
旧政権下で洪仲丘(ホン・チェンチュー)という軍人が虐待で命を落とす事件が発生した。その際、これは軍部虐待ではなく事故であると隠ぺいを計ろうとした動きに対し、民意は「隠ぺい説」を強く支持した。台湾総督府前の通りは25万人ともいわれるデモ参加者で溢れかえった。
そこへ柯文哲氏(当時はまだ市長ではない)が医者の立場から被害者を検視し、会見で「医者の目で見てもこれは虐待だ」と発表。結果、軍による暴行が原因であったことが正式に認められ、解決に至った。これを機に柯文哲氏の評判は台湾全土に広がっていく。
自ら現場に足を運び改革を行う。この慈愛の精神に、謝氏は強い感銘を受けたという。それ以来、謝氏は市長を支援している。3月の東京都板橋区との交流会でもキーパーソンとして活躍した。
市長は最後に強調する。「今までの台湾は政党の力があまりに強すぎた。政治の畑を歩むために医者を辞めて市長選に臨みました。当初、無所属はあり得ない、絶対に無理だという世論だったが、私は、1人でもできることがある、個人の意志と力でできるのだということを証明しました。そして、台北の政治を変えました。意志の固さを皆さんに伝えることができたと思っています」
最後も苦笑いしながら日本語で「もっと(日本語を)勉強します!」と、日本への友好的な思いを示してくれた。
台湾をめぐっては、大きな政治問題として対中関係、歴史的背景が絡み合っている。今回のインタビューでは、台湾が日本との友好を重んじ、世界に向けて、文化人として新しく発展していくのだという未来志向の政策に触れた。
日本と台湾の交流は、アニメや映画、芸能、観光の面でも年々深まるばかりだ。移動の地下鉄で、お年寄りの手をひいて率先して席を譲る若者の姿を見た。「人が美しい国」という市長の言葉のように、どの人も温かくもてなす姿は美しかった。
緑美しい都市台北。今後もさらに両国の良好関係が発展することを期待したい。