世界各国の郷土料理の魅力を広め、食で日本と世界をつなぐことを目指す、世界の料理総合情報サイト「e-food.jp」を運営する株式会社イーフード(東京都港区)が、東方正教会の食文化について学ぶ「東方正教会 食の基礎・体験講座 復活大祭編」を5月14日、横浜ハリストス正教会(横浜市神奈川区)で開催した。
近年、日本でも「ハラル」「コシェル」という言葉がさまざまな場所で聞かれるようになった。「ハラル」は「許されている」という意味のアラビア語、「コシェル」は「正しい」という意味のヘブライ語だが、「ハラル認証」「コシェル認証」と使われることの多いこれらの単語はいずれも、イスラム教とユダヤ教における食事・調理規定のことを意味している。
イスラム教徒の訪日者数増加に伴って観光・食品業界では、ハラルとコシェル認証取得の動きが進んでおり、宗教と食事への関心もこれまでになく高まっているが、イスラム教、ユダヤ教だけでなく、ヒンズー教、仏教、神道などあらゆる宗教が、独自の食文化を有しており、キリスト教ももちろん例外ではない。
現代のプロテスタント教会においてはほとんど見られない食事規定だが、カトリック、正教会においては、祭りの日に向けて食事を節制し、心と体を整える「斎(ものいみ)」の文化が今も受け継がれている。
この講座を主催するイーフードの代表、青木ゆり子さんは、「世界各地で人々に愛されてきた郷土料理の根本にあるものは何か」と考える中で、その土地の伝統宗教と食が切っても切れない大事な関係にあることに気が付いたという。
青木さんによれば、日本においても、地域の神社で、季節ごとの旬の食物を神饌(しんせん)として神にささげた後、ささげたものを共に食べることで、神との一体感を得て、加護と恩恵を得ようする「直会(なおらい)」と呼ばれる儀式が行われてきたそうで、世界中のどの宗教にも共通して「食べ物は神からの恵みであり、感謝を忘れずに」といった教えが見られるという。
「『食と宗教』をテーマに文化の違いと普遍性を学び、敬意を払うことで『世界に通用するコミュニケーション能力』を身に着け、食べ物が簡単に手に入る『飽食』の現代に、食の大切さをあらためて考えてほしい」と願う青木さんは、2014年から、首都圏に教会・寺院を持つ世界のさまざまな伝統宗教の聖職者らに講師を依頼し、信仰と食の関わりについて話を聞き、実際の料理を参加者に体験してもらう講座シリーズを主催し始めた。
横浜ハリストス正教会では今年、ユリウス暦のクリスマス(主の降誕祭)である1月にも講座が開かれ、参加者はビザンチンクロスがモチーフのギリシャ正教会の伝統的な「クリスマスブレッド」を楽しんだそう。
その続編として開かれた今回のテーマは、復活大祭。正教会にはたくさんの祭りがあり、その中には主の降誕祭を含む「十二大祭」と呼ばれる大きな祭りがあるが、そうした全ての祭りとは別格に扱われ、信仰の根幹をなす祭りとして盛大に祝われるのがこの復活大祭だ。
講座に集まった約30人の参加者はまず聖堂で、グリゴリイ水野宏神父から、正教会の基礎的な講義を受けた。人類の始まりから、旧約聖書時代のイスラエルの歩み、そしてイエス・キリストの出現と、新約聖書時代の初代キリスト教会形成という壮大な歴史を概観し、その文脈の中で誕生した正教会、ロシア地域に登場した正教会系国家、そこから伝来し成立した日本正教会についてが、時間の流れに沿って、初心者にも分かりやすく説明された。
さらに、最も大切な祝いごととされる復活大祭、祭りに向けての斎や祭りでの伝統的な食事についても話された。正教会では、信仰の焦点がはっきりと、イエス・キリストの十字架の受難と復活に当てられている。その信仰の1つの現れが、パンとぶどう酒をイエスの体と血としていただく、正教会の中心的な奉神礼「聖体礼儀」だ。
聖堂の中央祭壇の一番上のイコンに「最後の晩餐」の場面が描かれていることからも、その重要さが分かる。
「聖霊降臨の日に教会が誕生し、そこで熱心に行われていたことは、『使徒の教え、相互の交わり、パンを割くこと、祈ること』(使徒言行録2:42)と聖書は記している。この『パンを割く相互の交わり(キノニア)』とは、最後の晩餐の時、イエスご自身によって『取って食べなさい。これは私の体である・・・皆、この杯を飲みなさい。これは・・・私の血、契約の血である』(マタイによる福音書26:26~28)と啓示された主の体と血(聖体)を食べることを指すものであり、それを通して永遠の生命を獲得できるというのが正教会信仰の中心」と、水野神父は解説する。
正教会では毎週の日曜日が、イエスの復活日と覚えて聖体礼儀を行う日とされるので、年に1度の特別な日を、復活「大」祭と呼ぶのだという。
正教会には、1年間に4つの斎の期間があるが、復活大祭に向けての40日間は特に「大斎」と呼ばれ、肉・動物由来の食物を断って、特別な祈祷やより厳しい斎が勧められる非常に大切な期間だ。
年間を通して食事の制限があるイスラム教やユダヤ教とは異なり、正教会では、祭りの前後で区別をつけることで祭りをより盛大に祝うのが特徴だ。復活大祭にはごちそうを食べ、翌週は真っ赤なイースターエッグを持って墓参りし、生者も死者も共に永遠の命を祝う。
ロシア正教会から正教が伝えられた日本正教会は、その食文化もロシアから強い影響を受けている。ロシアの復活大祭のテーブルに並ぶのは、ピラミッド型に成型された甘いチーズケーキに似たデザート「パスハ」、円状の甘いパン「クリーチ」などが有名だ。
水野神父の講義を受けた参加者も、共に机を囲んで、実際に復活大祭にちなんだ華やかなロシア料理を楽しんだ。ロシアの伝統的なオリビエサラダも復活大祭バージョンに盛り付けされ、生のビーツのピンク色が美しい冷製ボルシチも参加者に大好評だった。
参加者は、正教会の信徒、プロテスタントの信徒、キリスト教徒ではない人、日本人だけでなくセルビア人などさまざま。また、正教会に関心があるという人はもちろん、ロシアの文化に興味がある、食べることに目がないなどと、切り口の幅広さがうかがえた。
「正教会では、『食べる』という具体的な行為が信仰に直結しているといえるし、その延長において、正教会は近代的な教会において次第に失われていった食べ物に関わる諸習慣を、伝統として守り続けている」と話す水野神父は、「教会の外部の方向けに『食と教会』に関わる講義を行うことは、正教会を『珍しい教会』という興味本位の視点に留まらず、『伝統を継承する教会』という視点で理解していただく機会になるのではないかと考えている」とし、「今後も広く皆様に正教会について知っていただけるよう、取り組んでいきたいと思っている」と意欲を示した。
イーフードが主催する「食と宗教」をテーマにした講座は、東方正教会だけでなく、ユダヤ教、ゾロアスター教など多岐にわたる。今後の開催予定などは、世界の料理総合情報サイト「e-food.jp」で。