3月22日、世界は過激派組織「イスラム国」(IS)が起こした新たな致死的な攻撃に震撼し、嘆き悲しんだ。ISが犯行声明を出したベルギーで起こった3件の連続自爆テロは、2件がブリュッセル国際空港で、1件がブリュッセルの地下鉄マルビーク駅で発生し、合わせて35人が死亡、少なくとも270人が負傷した。
この事件によって、イスラム教とその信者をどう扱うかについての新たな議論が起こった。
昨年パリの連続自爆テロで130人が死亡した際、共和党の大統領選挙候補者のトップを走るドナルド・トランプ氏は、イスラム教徒の一時入国禁止を呼び掛け、より強い国境の保安を求めた。彼は、ブリュッセルは米国で起こり得ることと比べて「ピーナッツ」だったとした。「私たちは注意深くあらねばなりません。私たちの意志として、(米国に入ってくる人々に対して)私たちはより厳しくあらなければなりません」と述べた。
トランプ氏のライバル、テキサス州選出のテッド・クルーズ上院議員は、イスラム過激派は欧米諸国に戦争を仕掛けているが、バラク・オバマ大統領はそれを認識することを拒否していると主張した。「彼らの極端なイスラム教の解釈を受け入れない全ての人に対して戦争を仕掛けているイスラム過激派による、一連の攻撃の最新のものにすぎません」とクルーズ氏は発言した。「イスラム過激派は私たちと戦争をしています。7年以上にわたり、私たちはこの現実を認めることを拒否する大統領を頂いています」
しかし、イスラム過激派に応答し、その拡大を食い止めるのに最も良い方法は何か?
その前日、ニューヨーク市のミューズホテルのテーブルの向こうで、ニューヨーク・タイムズのベストセラー著者、ナビール・クレーシー氏は同月上旬に上梓した新著『Answering Jihad: A Better Way Forward(ジハードへの回答―より良く前進するには)』で詳述した応答について論じた。彼のメッセージの一部には、キリスト教徒に対し、イスラム教の信者の一部がキリスト教徒を地上から消し去ろうとしていたとしても、それでもキリスト教徒はイスラム教徒を愛することができるとのアドバイスを含んでいる。
彼は、平均的な米国人がより良いコミュニケーションや理解を促進するため、イスラム教とイスラム教徒の両方について一定の洞察を得ることを助けるために本を書くことを決断したと話した。彼は、今は「明快さ」という必要があると述べた。
「この本は、ごく普通の人のために書いたものです。報道でイスラム教について聞いた人、何らかの解決を見るまで全てのイスラム教徒を国外に退出すべきだという保守色の強い政治家と、これがイスラム教徒とは何の関係もないという政治家との間で繰り広げられている争いを耳にした人のためです。私たちはこれら全てのことを聞いています。多くの混乱があり、さまざまな対立がありますが、明快さはありません。誰も、実際にはこの複雑さを求めてはいないのです」と、「ラビ・ザカリアス・インターナショナル・ミニストリーズ」の国際的スピーカーであるクレーシー氏は語った。
「今、人々はとても混乱しており、『さあ、人々を人々として見て、宗教を理解し、何が本質かを知ろう』という言葉すら出てこないほど建設的な会話ができていません。これは基本的なステップのように見えますが、あまりにも分裂があり、誰もそのことに触れないため、成し遂げるには多大な努力を必要とします」とクレーシー氏。
「政策の専門家は、正しいことをするために、正しい方向へ行くために、何が問題なのかを知らなければなりません。全体像を見ていないので、彼らは何が問題かを知りません」と説明した。
そして完全な全体像は非常に複雑だと彼は指摘した。
クレーシー氏は、米国で熱心なイスラム教徒として成長し、家族と共にイスラム教の弁証学を学び、キリスト教徒と宗教的な議論を交わしていた。彼はイスラム教が平和の宗教と思えなくなった後、最終的には背教者となった。
「長年の研究の後、私は現実に直面しなければならなくなりました。イスラム教にはその当初の設立ですら多くの暴力が存在しており、それは全てが防衛であったわけではありません。むしろ逆に、もしイスラム教の預言者についての伝統が信頼できるものならば、イスラム教は明らかに、ムスリムが取れる行動よりも暴力的な聖戦を称賛しています」とクレーシー氏は著書の中で指摘した。
「この結論は、私を三つの道の分岐点に置きました。背教者となってイスラム教から去るか、無関心になって預言者を無視するか、『過激派』となって彼に従うかです。ほとんどのムスリムがそうであるとはいえ、ムハンマドの教えを軽視して熱心なイスラム教徒で在り続けるという選択肢は、私の心にはありませんでした。ムスリムであるということは、アッラーに服従しムハンマドに従うことだからです。背教か、無関心か、過激派となるか、それが私の選択肢でした」とクレーシー氏。
そしてこの背景には、穏健なムスリムやイスラム教が平和の宗教だという意見を持った弁証者が認めようとしない何かがあると、クレーシー氏は説明した。
「ある側では、イスラム教の歴史やその暴力的な聖戦主義者との関連を完全に無視している人がいます。その一方で、イスラム教は平和的な宗教だが、それは信者たちが基礎的な訓練を受けることが前提だという、その宗教的伝統の複雑さを無視して神学だけを見ている人々がいます」とクレーシー氏。
彼は、イスラム教の基礎をなす文章とそれに書かれているムハンマドの人生が、イスラム教が平和の宗教だという物語を支持することを困難にしていると述べた。物語を維持するには、その部分の文章を改訂するしかない。
「クルアーンとムハンマドの人生が問題なのです。もしあなたがこれらの正典から外れたイスラム教を組み立てられるなら、どこか内面的なものとなるでしょう」とクレーシー氏は述べた。
「イスラム教は常に、そのような変化に抵抗してきた」からであり、彼はそれを見たことがないという。イスラム教の正典の完全な内容についての会話を始めるなら、解決に向けての議論を始められるだろうと彼は言い、『Answering Jihad』はそれを強調しているとした。
「しかし、そこを私たちは見始める必要があります。イスラム教の核心となる文章が暴力的だからといって、私たちは単純に全てのムスリムを退けることはできません。それは、ある側の人々に欠けている見地で、もう片側の人々は、文章が実際にあることに目を閉じてしまっています。私たちは、私が今言っていることの一つだけをするわけにはいきません。全てを一緒に見ましょう。そうすれば、私たちは応答をまとめられます」とクレーシー氏は説明した。
イスラム教の正典がインターネット上でよりたやすく入手できるようになったことから、「穏健なムスリムの考え」を維持することもまた難しくなったとクレーシー氏は付け加えた。(続き>>)
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