「罪人の友 主イエス・キリスト教会」(通称:罪友)に集うメンバーの中で、ひときわ元気な青年がいる。見方によっては、良い意味で「やんちゃ」に見えるこの青年の名は、高橋昌平さん(29)。
千間台キリスト教会の賛美リーダーとして奉仕する高橋さん。知人の紹介で、進藤龍也牧師と知り合い、時折、罪友メンバーとも礼拝をささげている。「自分に限界がきたときに、進藤先生には一緒に祈ってもらったり、助けてもらったりしている。神様が用意してくださった助け手に心から感謝している」と話す。
進藤牧師は、「私のアドバイスといえば、『自分の教会を愛すること』『牧師を愛すること』だけでした。『母教会での礼拝を終えてからなら、罪友に来てもよい』とも話しました。なので、彼の所属教会での活躍をとてもうれしく思っています。元ヤクザですから、『筋』を大切にしなきゃいかんですね。そういうことも主は喜ばれます。全ての教会は主の教会ですから」と話す。
台湾人の母と日本人の父の間に生まれた高橋さん。母の家系は代々クリスチャンで、祖父は牧師でもあった。高橋さんは、生まれたときから教会に行き、教会学校にも積極的に出席していた少年だった。父はお酒が大好きで、信仰はなかったものの、高橋さんは両親に愛されて育ったと話す。
中学生になり、多感な時期を迎えると、徐々にマンガなどの影響から、「不良=カッコイイ」と思うように。それでも、中学生時代にはなんとか教会に通い、3年生になる頃には、洗礼も受けていた。
しかし、高校生になる頃には、教会からは離れ、当時はやっていたカラーギャングに入るようになった。友達と群れをなしては、喧嘩、窃盗、無免許運転などを繰り返した。高校2年生の夏、ギャング同士の抗争事件に巻き込まれ、逮捕。少年鑑別所に入った。
少年鑑別所での生活は、約2カ月ほどだったが、「そんなにつらいとは思わなかった。友達もできたし、もう一度入りたいとは思わないが、つらい思い出はほとんどない」と話す。事件は夏休み中だったため、鑑別所に入った期間を含めても、すぐに学校に復帰すれば、留年するほど欠席する必要はなかった。
なんとか高校を卒業し、建設会社に就職した。しかし、ここでも、悪い「癖」から解放されることなく、物を盗んだり、人を傷つけたり、時には、人に殺意を覚えたこともあったという。そうした悪の世界にどっぷり浸かってしまった自分に嫌気が差し、夜中、扉の閉まっている教会の前で、一人、祈ったこともあった。
19歳の時には、薬物中毒になっているにもかかわらず、車を運転して、交通事故を起こしてしまう。交通違反に対する処分として、「免許取り消し」にはなったものの、薬物反応が検出されず、処分はこれにとどまった。
20歳の時には、それまでの借金が300万円にもなっていたが、必死に働き、なんとか返済。同時期に、当時お付き合いしていた女性との間に赤ちゃんを授かり、結婚した。
しかし、25歳の時、それまで酷使してきた高橋さんの身体は、悲鳴を上げていた。腰痛が悪化して、立つことも座ることもままならなくなっていたのだ。酒に溺れ、時にはマリファナも使用した。そうすることで、一瞬、痛みから解放されたのだ。
当時の妻は、身の危険を感じたのか、高橋さんから離れ、間もなく離婚が成立。立つことすらできない高橋さんは、仕事も失った。何もかもを失って、生きることすら嫌になった。
そんな様子を見た友人が、生活保護を受けて、生活を立て直すことをアドバイスしてくれた。それから約3年間、生活保護を受けることになった。同時に、腰の治療に専念することになり、入院が決まった。容体は決して楽観できず、腰の骨には、今もボルトが残るほどの大手術を受けなければならなかった。その時のことを高橋さんは、「とにかく激痛でした。世の中に、こんな痛みがあるのか・・・と思ったほど」と表現する。
やっとのことで、自分の足でトイレに行けるまでに回復した。ある朝、朝日が燦々(さんさん)と降り注ぐ病室で、立ち上がってトイレに行こうとしたそのとき、「自分の足で立てることの喜び」を感じている自分がいた。久しぶりに神様の存在を確認し、感謝をしたのだという。その瞬間、全身に大きな衝撃が走るのを感じた。「神様、今まで、あなたのことを顧みず、自分の好きなことばかりしていて、ごめんなさい」。心から罪を認め、悔い改めたという。
何もかも失ってしまったが、神様の言葉だけが高橋さんを包んだ瞬間だった。それからは、母教会に戻り、現在は賛美リーダーとして、礼拝で声高らかに神様を賛美している。徐々に社会復帰も果たし、今は自身の子どものため、離婚した妻のため、両親や家族のために祈っていると話す。
「まだまだ不安なことがたくさんある。経済的なこと、これからの自分の人生、きっといろいろなことがあると思う。でも、俺は全然ビビってない。『イエス様はサイコー!』といつも自分に言い聞かせている。どんなことがあっても、イエス様が一緒にいれば大丈夫!」と笑顔を見せる。
この底抜けに明るい彼の笑顔と、熱く聖書を語る眼差しが、多くの人に光を照らす。「今までの自分だったら、『怖いものなんか何もない!』と思っていたが、今は一つだけ怖いものがある。それは、自分が神様から離れること」ときっぱりと言い切る高橋さん。あの朝、病室に差し込んだ温かな日差しは、高橋さんを再び光の世界へと導く道標だったのだ。