「こんにちは。Mです。よろしくお願いします」
紳士的なあいさつと丁寧な言葉遣い、時折見せる少し寂しげな中にも温かな笑顔が印象的なMさん(40代)。「罪人の友」主イエス・キリスト教会(通称:罪友)の会員の一人だ。インタビュー中、終始、言葉を選びながら答えてくれた。
Mさんが聖書に出会ったのは、高校時代。カトリック教会に通い始めたMさんは、次第に聖書に真実を見いだし、大学受験を目前にした高校3年生の時に受洗した。しかし、現役で挑んだ大学受験は失敗。失意も味わったが、翌年、見事に都内の有名私立大学に合格した。4年間の大学生活を過ごす中で、「将来、子どもたちに大好きな歴史を教えたい」と、卒業後は教師になることを決めた。しかし、教育現場以外の「一般社会」も経験したいと、卒業直後は大手企業に就職し、そこで8年ほど社会経験を積んだ。仕事にいそしみ、教会にも通い、結婚もした。
その後、満を持して東海地区にある私立高校の教員に。大学時代の思いそのままに、「歴史が楽しいと思える授業を!」と生徒たちと真摯(しんし)に向き合い、教師として昼夜、仕事に励んだ。教師になってからも教会に通い、ミサをささげ、奉仕もした。町内会へも積極的に参加した。全てが順風満帆。憧れの教師になれた喜びに満ちていた。
しかし、そんなMさんの心と体が次第に悲鳴を上げ始める。気が付くと、躁うつ病を発症していた。心療内科にかかり、入退院を繰り返す生活が始まった。うつ症状のどん底の時には、自殺することばかり考えていた。その頃のことを、「何もかも張り切りすぎちゃったんですかね。中途で採用されて、社会経験を買われての採用だったこともあり、教員としてだけではなく、学校の運営自体にも携わるようになって、時間、能力ともに限界が来ていたのだと思います」とMさんは話す。
そんなMさんを看護し支えてくれた妻とも、少しずつ溝ができ始めていた。休職しては復職、また休職という生活を繰り返した。「完全にオーバーワークだったのに、それに気付かず、またアクセルを踏み始めちゃったんですね」とMさん。それまで互いのイライラをぶつけ合い、夫婦げんかをすることはあったが、どこの夫婦にもあるようなけんかだと思っていた。しかし、いつの間にか妻の我慢も限界に達していた。そして、Mさんの完全に壊れた心が暴走し始め、ある事件を起こしてしまう。
些細(ささい)なことで妻と口論になったMさんは、妻の首に手をかけてしまったのだ。「今まで感じたことのないような興奮状態というか・・・。自分でも止めることができなかった」と、その時のことを話す。はっとわれに返って、手を緩めるが、手をかけた事実を消すことはできない。「殺人未遂」の容疑者として、警察に逮捕されることになった。夫婦の間に授かった子どもたちには、警察に連行される直前に、「これでおいしい弁当でも食べろよ。すぐに帰るから」と、ポケットに入っていた5千円を渡したのが最後となり、それ以来、会うことも話すこともない。
拘置所にいる間に学校は自主退職、妻とも離婚が成立していた。マイホームも手放し、自己破産した。拘置所では独房で半年を過ごし、その間、本をたくさん読んだ。神様に「なぜ、俺なんだ? どこで俺は階段を踏み外したんだ・・・。努力もたくさんしてきた。有名大学に入って、大手企業にも勤め、生徒たちの将来のために教育にも惜しみなく努力をしてきた。家族に苦労はさせまいと一生懸命に働いてきた俺のどこが悪かったんだ! なぜ、こんなことをしてしまったんだ・・・」と、何度も何度も問い続けた。
「僕は、神様が座るべき場所に自分が座ろうとしていたんですね。神様が全てをつかさどってくださっているのに、そこに無理やり自分が座って、自分で自分の人生をコントロールしようとしていたのだと、後になって気付きました」と穏やかな表情で話すMさん。結審後、Mさんは福祉大学へ再入学した。勉学に励みながら、福祉や介護の仕事をしているときに、SNSなどを通して、罪友の進藤龍也牧師と知り合った。関東近県の実家から都内への通学、通勤は過酷だったが、月に一度は日曜日の罪友の礼拝に通った。2カ月間、教会の住み込みもした。進藤牧師からは何度も、「まだ感謝が足りない!」と戒められた。時に牧師とぶつかった時もあったが、「感謝できないような状況でも感謝するのが、『全てのことに感謝する』『神様の前にへりくだる』という意味なんですよね」と今のMさんは話す。
現在は、福祉大学で勉強しながら、障がい者福祉関係の非営利団体で働いている。「うつがひどかった頃、僕は、何度となく自分の命を絶とうと思ったことがありました。しかし、今は神様に生かされていることに感謝している。将来は、そうした自殺防止のための社会活動もやっていきたいと思っています」と語る。
心の病と決して消すことのできない大きな過ちの間で、もがきながらも神に救いを求め、ゆっくりと一歩を踏み出したMさんの話には、静かな闘志さえ感じた。