長崎原爆の日の9日、朝7時半から平和公園(長崎市)の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前で、原爆で犠牲となった朝鮮半島出身者を追悼する集会が行われ、国内外から約350人が参加した。広島・長崎を巡礼していた世界教会協議会(WCC)の代表団も参加し、祈りと献花を行った。参加者からは、在外被爆者の援護拡充を求める声などが上がった。
集会を主催した「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」によると、長崎で被爆した朝鮮半島出身者は推定で約2万人に上り、1945年末までに約1万人が亡くなった。韓国や帰国事業で北朝鮮に帰国した人々など、現在約4300人の在外被爆者がいるが、国籍条項などにより被爆者援護法の医療費支給が適用されていないという。
この集会は、長崎で被爆した朝鮮人の実態調査・援護活動に生涯をささげた岡正治牧師(日本福音ルーテル長崎教会、1918~94)が中心となり、1979年に始まり、今年で37回目になる。
学徒動員で働いていた三菱の工場で被爆した父を9年前に亡くしたという、韓国原爆被害者2世会の李太宰(イ・テジェ)会長はこの日、「昨日の夜、平和公園を歩いたが、平和公園にはたくさんの人が集まっていたが、この朝鮮人犠牲者追悼碑の周りには暗い中、誰も人がいなくてとても心が痛かったです」と話した。ここ10年以上、韓国の高校生を被爆地の広島と長崎に引率し、在日韓国人の被爆者の話を聞いてもらう活動をしてきたが、今年は話をできる被爆者がおらず、「戦後70年の時を感じました」と語った。
また、「今、安倍首相が平和憲法を改正している日本政府が、大変心配な思いでいっぱいです。広島や長崎でたくさんの方々が被爆した中で、国民の声を無視して戦争を行おうとしている安倍首相にとても遺憾の意を感じます」と述べた。メッセージの後には慰霊の心を込めて、韓国の伝統楽器を用いて朝鮮民謡「アリラン」を演奏した。
また、集会に参加したWCC代表団のメアリー・アン・スウェンソン監督(米合同メソジスト教会)は、「私たちはWCCの代表として皆さんと心を共にします。世界中から各国の代表が集まっていますが、その一つの群れがここ長崎で犠牲になりました。私は特に非常に大きな恥を持ってここに立っています。私は米国のメソジスト教会の監督ですが、私の国の人間が長崎で本当にひどいことを致しました。ここにいる私たちは核に頼っている国々の人間ですが、決して私たちは核を使ってはならないし、廃絶し、平和をこの世界にアピールしなければなりません」と述べた。
「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の高實康稔(たかざね・やすのり)代表(岡まさはる記念長崎平和資料館館長)は、「戦後70年の節目の年といわれながら、日本の植民地支配と加害責任が真剣に問われているとは思われず、それどころか歴史修正主義がはびこり、戦後レジームからの脱却を唱える政治がまかり通っていることを黙認できない」と語った。
また、多数の朝鮮人が被爆したのは、日本の植民地支配と侵略戦争に原因があることが明らだとして、「それにもかかわらず、その責任を痛感することもなく、被爆者援護行政において(在外被爆者を)差別排除してきた歴史は、倫理感の欠如以外の何ものでもありません。今なお医療費の支給に内外の差別がある」と批判。在外被爆者にも国内被爆者と平等に医療費を全額支給することや、北朝鮮の被爆者にも被爆者援護法を適用する道を開くことなどを訴えた。
集会最後には参加者による献花が行われ、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)長崎県本部の金鐘大(キム・ジョンデ)委員長や、WCC訪問団のスウェンソン監督、トル・ベルゲル・ヨルゲンセン監督(ノルウェー国教会)も献花を行った。
国内の報道などによると、厚生労働省の調べでは被爆者健康手帳を持つ在外被爆者は、約4300人(今年3月末時点)。これまで国は、在外被爆者が海外で受けた治療費は適正かどうか担保できないという理由で被爆者援護法の対象から外してきたが、広島で被爆し韓国に帰国した被爆者や死亡した被爆者の遺族らが提訴し、昨年6月の大阪高裁判決では、「国の責任で被爆者の救済を図る国家補償の性格があり、国外での医療を支給対象から除外することは合理的ではない」と認定された。現在、最高裁で上告審が行われてり、9月8日に判決が出される予定だ。