世界教会協議会(WCC)の巡礼団が4日に来日し、「正義と平和の巡礼」として、70年前に原爆が投下され、多くの犠牲者を出した広島と長崎などを訪問した。
5日午前には、外務省で同省軍備管理軍縮課の野口泰課長と会談し、核問題について話し合った。会談の内容は明らかにされていないが、WCCの公式サイトに掲載された写真には、巡礼団を率いる米合同メソジスト教会のメアリー・アン・スウェンソン監督が、昨年7月にWCC中央委員会で採択された声明「核から解放された世界に向けて」を手に発言し、野口氏がアジア太平洋地域の軍事情勢を示す地図を手に語っているのが写っている。
WCCの公式サイトによると、スウェンソン監督は5日、カトリック幟町教会・世界平和記念聖堂(広島市)で行われたカトリックと聖公会の「平和のための祈りの集い」で、「核兵器の保持に対するあらゆる支援を廃止する時が来た。他の人々を大量に破壊することが、私たち自身を守る正当な在り方だというのを受け入れることを拒否する時が来た」と述べた。
WCCはさらに6日、「広島における70年前の原爆による致命的な破壊を追憶するWCCの巡礼者たち」という見出しの記事(英語)を掲載。広島で行われたカトリックと聖公会によるキリスト者平和行進について写真付きで伝えた。また、スウェンソン監督がその行進や世界平和記念聖堂での「平和のための祈りの集い」に加わっている様子を動画(英語)でも伝えた。
巡礼団の一人であるドイツ福音主義教会連盟(EKD)のハインリヒ・ベドフォードストローム議長は6日、広島で行われた原水爆禁止日本協議会の「原水爆禁止2015年世界大会」で講演し、「私たちはいのちを危険にさらす代わりに、それを守る生き方をしなければならない。私たちはいのちを脅かして破壊するような形で原子エネルギーを使ってはならない。そうすることは、神が造られた世界の罪深い誤用である」と話した。また、「他の諸民族の大量破壊が、私たち自身を守る正当な在り方だというのを受け入れることを拒否しなければならない」と述べ、スウェンソン監督の言葉に同調した。
WCCは6日、公式サイトで礼拝式文(英語)を掲載し、広島の原爆の日に共に祈るよう世界中の教会に呼び掛けた。この式文は「いのちを選ぼう 正義を伴う平和を選ぼう」「悔い改めの連祷」「感謝ととりなし」という3つの部分からなっている。
核問題に詳しいWCCコンサルタントで元ジャーナリストのジョナサン・フレリックス氏は6日夜、「どんな光景や音が今日、広島の原爆を物語るのか?」と題する記事(英語)を、WCCの「正義と平和の巡礼」のブログに投稿した。
それによると、スウェンソン監督は広島の記念碑に花を手向け、「私の国(米国)がこれ(原爆の投下)を日本にしたことで深い悲しみが私を覆った」「けれども世界中から人々が核兵器廃絶という共通の決意を持って声を大にしていることは、今日、とても大きな意味がある」と述べた。また、巡礼団の一人である、WCCアジア議長で韓国基督教長老会総会の張裳(チャン・サン)牧師は、核兵器以外の大量破壊兵器は禁止されているが、「あらゆる兵器の中で最も破壊的な兵器である核兵器は禁止されていない」と述べ、全ての国の政府はその法的ギャップを埋めなければいけないと語った。
フレリックス氏によると、日本聖公会の植松誠首座主教は、巡礼団に対し、「自らが見ていることを自国に持ち帰って、なぜクリスチャンが核兵器を拒否しなければならないのか説明し、私たちのために証人となる」よう求めたという。
一方、カトリック・ニュース・サービス(CNS)は6日、米国カトリック司教協議会が核軍備撤廃を強く求めると、同協議会の司教たちが述べたとする記事(英語)を掲載した。
それによると、同協議会は日本が軍事力を再び増強する動きに対して警告するとともに、日本の司教たちと連帯してそれに反対すると、米ニューメキシコ州ラスクルーセスのオスカー・カントゥ司教は語ったという。
一方、アジアキリスト教協議会(CCA)は6日、公式サイトに「広島の日 追憶と祈りの時」と題する記事(英語)を掲載。「広島の日に被爆者たちの人生と最初の原爆による無実の犠牲者たちの痛ましい記憶や苦しみによって、私たちが戦争や核の大量破壊兵器による致命的な影響を防ぐことができますように」と記すとともに、旧約聖書の申命記30章19節に基づいて「死ではなく命を選ぼう」と呼び掛けた。
カトリックの国際的な平和運動組織「パックス・クリスティ・インターナショナル」は、「広島と長崎 70年前に最も致命的な兵器によって壊滅させられた日本にある2つの都市」と題する声明を9つの言語で公式サイトに掲載した。
「社会は、核兵器の道義性や、核兵器の廃絶における倫理の役割、そして宗教者のリーダーシップと行動が持つ平和をつくる力について、深く考えるべきである。相互確証破壊の脅威に基づく倫理は、将来の世代にふさわしくない。核兵器は本質的に非人間的で非倫理的である。連帯と平和的共存に根ざした倫理だけが、人類の未来のためにふさわしいプロジェクトである」などと声明は述べている。
そして、声明は、教皇フランシスコが昨年12月7日に述べた「核抑止と相互確証破壊の脅威は、人々や国家間の友愛と平和的共存の倫理のための基礎とはなり得ません」という言葉が引用されて結ばれている。
スコットランドのカトリックメディア「スコティッシュ・カトリック・オブザーバー」は7月31日、「核爆弾の70周年 平和のための徹夜の祈り」という見出しの記事(英語)を掲載。パックス・クリスティがスコットランドのいくつかの都市で徹夜の祈りを主催するなど、英国全土で広島と長崎の原爆投下70周年を記念する催し物が行われると伝えた。
米クリスチャンポストは6日、「広島への原爆攻撃70周年に、核兵器の使用を認める米国人が減少」という見出しの記事(英語)を掲載した。これはピュー・リサーチ・センターの調査結果によるもので、この数十年間において、広島の原爆投下に対する米国人の支持は減ったという。
また、英国クリスチャントゥデイは5日、「広島に謝罪するべき時か?」と題する記事(英語)を掲載した。これは英国クリスチャントゥデイの寄稿編集者であるクリス・カンディア氏によるもので、カンディア氏は、原爆投下を弁護するのに使われる5つの主張として、1)戦争を早く終わらせることで命が救われた、2)日本人は言語に絶するほどの犯罪を犯していた、3)それ(戦争)を始めたのは日本人であり、彼らは真珠湾を爆撃した、4)愛と戦争においては全てが公平だ、5)私たちはそこにいなかったのだから、私たちが裁くなんて何様のつもりか?を取り上げた。
その上でカンディア氏は、全く容認できない数の非戦闘員を死に至らしめた戦略的爆弾と原子爆弾の両方で非戦闘員を標的にしたことを正当化するための主張が持つ薄っぺらい性質に照らし合わせれば、広島の原爆投下から70年を経て、戦時中の連合国諸国からの謝罪は「私たちができる最低限のことだ」と主張。そして、「もし私たちの指導者たちがそれをできないのなら、私たちもごめんなさいと言えばそれが一つの始まりになるだろう」と結んでいる。
また、米国のキリスト教雑誌『ソジョーナーズ』(電子版)は3日、広島と長崎の爆撃飛行中隊にチャプレンとして従事したカトリック司祭のジョージ・ザベルカ神父に、同誌が1980年にインタビューした記事を再掲載した。記事の見出しは、「それ(原爆投下)は必要なのだと私は言われた」というザベルカ神父の言葉だった。
一方、米国のカトリックメディアである「カトリック・ワールド・リポート」(電子版)は6日、「広島と長崎から学ぶべき困難な教訓 正義の戦争、核軍備撤廃」と題する記事(英語)を掲載し、戦争と核兵器の倫理をめぐる論争などを紹介した。
英国のインディペンデント・カトリック・ニュース紙(電子版)は6日、「広島の日のための祈り」(英語)を掲載した。
一方、横畠裕介・内閣法制局長官は5日、参議院平和安全法制特別委員会で、白眞勲(はく・しんくん)議員からの核兵器の保有についての質問に対し、「憲法上、核兵器を保有してはならないということではない、とこれまで答弁しております」と答え、核兵器の保有は法的に否定されないとする見解を示した。