【CJC=東京】教皇フランシスコは6日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを1日の日程で司牧訪問した。訪問のテーマは「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19)。イスラム教徒とセルビア系、クロアチア系の3勢力による激しい内戦の終結から今年で20年、教皇は、民族の融和と宗教間の対話を促し、平和と共存を訴えた。
6日朝7時、教皇はヘリコプターでバチカン(ローマ教皇庁)を出発、サラエボ空港に9時到着した。大統領官邸での歓迎式の後、大統領評議会を訪問、ムラデン・イヴァニッチ現議長はじめ評議会メンバーとの会談、続いて、アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場で市民参加のミサを司式した。
教皇は、世界各地で紛争が続く状況は「第3次世界大戦のようだ」と憂慮、「戦争の空気が広がり、それをあおる者もいる」と不正な武器の取引などを批判した。1990年代の民族紛争で多数が犠牲となり苦しみを味わった国民に対し、多様性を尊重し和解の努力を続けるよう呼び掛けた。
教皇はミサ終了後、バチカン大使館で、ボスニア・ヘルツェゴビナの司教団との集いを行った。午後は、先の紛争による破壊から修復された司教座聖堂で、司祭・修道者・神学生ら教会関係者と会見した。司祭、修道者、修道女の代表3人が、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の信仰の体験を語ると、教皇は感動した様子で、用意した原稿を用いずに参加者に語り掛けた。
バチカン放送(日本語電子版)によると、教皇は、これらの体験は国民の記憶であり、その歴史を忘れてはならないと述べ、それは復讐するためではなく、平和をつくるため、彼らが愛したように私たちもまた愛するためであると語った。教皇は、人々が体験を語る中で「赦し」という言葉を繰り返していることを指摘。「主に自らを捧げる人々が赦しを知らないならば、その人の奉献生活に何の意味があるだろうか」と問いながら、「口喧嘩した友人を赦すのはたやすいが、自分を拷問・蹂躙し、殺そうとした人々を赦すことは難しい。しかし彼らはそれを赦すことができ、皆にも赦しを説いている」と、赦しの難しさと大切さに触れた。強制収容所での過酷な体験は、キリストの十字架の体験であると述べる一方、敵の兵士から梨をもらった話、イスラム教徒の女性から食べ物を分けてもらった話に、教皇は「私たちは皆兄弟、皆が神の子。すべての人が善の種を持っている」と述べた。
これらの体験は残酷なものであるが、今日も世界中の紛争でこの残酷さが繰り返されていると述べた教皇は、「皆さんは常にこの残酷さの反対であってほしい。優しさ、兄弟愛、赦しを示し、そしてキリストの十字架を担いでほしい。母なる教会は皆が小さき者、小さな殉教者、イエスの十字架の証し人となることを望んでいる」と、参会者を勇気付けた。
教皇はその後、修道会フランシスコ会の国際学生センターで、正教会、ユダヤ教、イスラム教の代表者と会見した。続いて、サラエボ教区のヨハネ・パウロ2世・青少年司牧センターで若者たちとの集いに参加した。ヨハネ・パウロ2世・青少年司牧センターは、2006年に開館、宗教・民族を問わず、すべての若者に開放されている。この日行われた教皇との出会いの場は、1000人以上の若者たちでいっぱいとなった。
教皇はここでも原稿を用いず、参加者との対話を行った。平和のメッセージを求める若者たちに対し、教皇は「皆さんは紛争後の最初の世代です。皆さんは春の花々です。この春の花々は、未来に進み、破壊には戻りたくないと望んでいます。私は皆さんにその熱意を感じます」と述べた。
「皆さんは互いに敵対したくないと思っています。私たちは『彼らと、私』ではありません。私たちは『私たち』です。イスラム教徒も、ユダヤ教徒も、正教徒も、カトリックも、皆『私たち』なのです。平和をつくるとはこういうことです」「皆が平和について語ります。ある権力者たちは平和について話していても、その下には武器が見えています。私が皆さんに期待するのは『正直さ』です。思うこと、感じること、行動することについての正直さです。そうではないことを偽善というのです」「橋があっても使われず、向こう側に渡ることを禁止されているとしたら、それは町の生活を壊してしまいます。ですから、私は紛争後世代の皆さんに、偽善ではなく、正直さを期待します。一致すること、行き来できる橋をかけること、これが兄弟愛です」「戦後の春の花々である皆さん、平和をつくってください。皆で一緒に平和のために働いてください。この国が平和な国となりますように」と教皇は語った。
サラエボ訪問を終えた教皇は、空港で政府・教会関係者の見送りを受け、午後8時出発、バチカンに9時過ぎ戻った。教皇のサラエボ訪問は、これまでヨハネ・パウロ2世の2回の訪問がある。ヨハネ・パウロ2世はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争直後の1997年、サラエボで、平和と和解を強く訴えた。2003年には、福者イヴァン・メルツ(1896~1928)列福式のため同地を訪れている。