栃木県北部にある矢板市。行政上は同県塩谷地区の中心となる、人口3万3千人ほどの市だ。この矢板市で、市議会議員として地元に仕える一人のクリスチャンがいる。今期で市議2期目となる小林勇治さんだ。今年60歳となる小林さんは、1男3女の父親であり、この地で足かけ35年にわたって牧会する牧師でもある。温和な口調で話す小林さんからは、政治家特有の「立て板に水」のごとき雰囲気は感じられない。しかし、「自分に与えられたものに素直に感謝して楽しく生きられる人々を育てたい」と、市議として、また地域に長く根付いて牧会する牧師としての思いを語る。
矢板市は、標高約1800メートルの高原山の南麓に広がり、山岳や森林、里山に囲まれた自然豊かな街だ。米作と共に、高級食材として東京の料亭などで珍重される「幸岡ねぎ」や、寒冷な気候を利用してリンゴなどが盛んに栽培されている。また近年では市内各所で温泉が掘削され、市民はもとより観光客にも憩いの場となっている。
こののどかな田園地域も、4月末に行われた統一地方選挙はかつてないほどの激戦だったと、小林さんは振り返る。有権者数約2万7千人、投票率61・75パーセントで、現職4人が落選する選挙戦だった。小林さんは、ダビデがペリシテの巨人ゴリアテと戦ったときに放った言葉「この戦いは主のものだ」を胸に戦い、見事当選を果たした。
小林さんがクリスチャンになったのは、高校卒業を控えた18歳の頃。千葉県で生まれ育った小林さんは、当時調理師を目指していたが、創価学会の活動を熱心にする姉の勧めもあり、また商売人はみな神をまつっている、ということで宗教に関心を持ったという。そんなある日、近所の教会で行われる映画上映会のチラシを目にした。「キリスト教か、仏教よりはカッコいいと思った」と、当時を振り返る。しかし、実際教会へ行ってみると、受付の女性の顔がどことなく輝いているように見え、「何かが違う」と感じた。
高校卒業後は、調理師を目指し、大阪の調理師学校へ入学。大阪に出てくる際、将来のために祈った時、「私はあなたを祝福する。だから、私が遣わすところで貧しい人がいたら、手を差し伸べなければならない」という、神からの約束の御言葉を頂いた。調理師学校卒業後、和食料理人として有名な神田川俊郎さんに弟子入り。毎日、割烹の修行に明け暮れた。しかし、そんな小林さんに転機が訪れる。「クリスチャンの生き方の特徴は祈って、そこで得た知恵を生活に応用すること」と言う小林さんが、ある日疲れて電車の中で祈っていると、「これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね」(イザヤ61:1)という言葉が頭をよぎったのだ。
その後も忙しい見習い生活は続いたが、どうしてもこの言葉が頭から離れず、その意味を考え、祈った。当時、教会へ通いながらも将来への漠然とした不安もあったという小林さん。「貧しさというのは、お金がない貧しさではない、神の言葉を聞けない貧しさだ」という思いが与えられ、神の言葉を伝える牧師としての道へ進むことを決断した。経済的な支援もなく苦学したが、神学校卒業後、25歳で矢板市にある教会に派遣された。その2年後には新しい教会の開拓を開始。35年にわたって牧会している。
「最初は、隙間風の吹くお寺の跡地にあった建物が私たちの教会でした。だから、私には『こうしなければならない』というスタイルはなかった」と語る小林さん。都市部の教会とは違い、多くの人が集まってくるようなことはなく、経済的な試練もあったが、妻の実家の稲作と運送業も兼業し地域に出ていった。
そんな小林さんが政治の世界に飛び込んだのは、4年前の56歳の時。子どもたちが通っていた学校ではPTA会長なども務め、常に地元に根付いた活動を行ってきた小林さんは、マニフェストにも「地元に根付く」を掲げている。
小林さんはまた、「人は神にデザインされた姿、与えられた環境があります。そして、神から与えられたアイデンティティーを、過去の戦争の過ちなどで全て否定しなくてよい、と私は考えています」とも言う。「この地域はもちろん、今の日本人全ての人に『ありのままに自信を持ってよい』と伝えたい。都市部には都市部の、この地域にはここだからこそできることがある。それを喜んで受け入れられるよう、教育の分野に力を注ぎたい」と、その思いを語った。