「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者がいないひとりぼっちの人はかわいそうだ」(伝道者の書4:9、10)
現代は「関係病の時代」と言われています。多くの人々が人間関係で悩んでいます。もし、人間関係作りの達人になれば、その人は何をしても成功すること間違いなしです。
人間関係の在り方として、いくつかの型があります。
(1)脅かす・叱る型
これは、権力や体力に物を言わせて相手を支配するやり方です。この方法は一時的に成功したように見えても、見ていなければ手を抜いたり、表面的には従っていても、心の中では反発しているケースが多いのです。そして何よりも力関係が逆転した場合、復讐されないとも限りません。
(2)マニュアル化型
これは、組織の一部に組み込んで歯車のように機械的に動かすことです。確かにミスは少ないかもしれませんが、人の個性は無視され、柔軟性もなく、一旦手順が狂うと対応不可能になりかねません。
(3)利害関係型
これはお金やポストをちらつかせながら、人を誘導する方法です。この方法で成功する場合もありますが、段々相手の要求がエスカレートしたり、欲望の少ない人には効果がありません。
(4)説明型
これは説得によって人を動かそうとする方法です。しかし、大切な事はしばしば言葉では伝わらないのです。
(5)模範型
これは自分自身が、まず活き活きと生きて模範を示すやり方です。これは周囲の人に感動を与え、影響力のある最も効果的な方法です。しかし、人はなかなかそのようには生きられないものです。それにはいくつかの理由があります。
① 人生の目的や意味がわからない
ドストエフスキーの『死の家の記録』の中に、シベリヤの囚人に対する拷問の仕方が記されています。例えば、二つのバケツの一つに水を入れて、それを空のバケツに移し、次にはその逆をする。穴を掘らせて埋め戻させ、再び掘らせて、また埋め戻させる。これを際限なく繰り返させていくと最後に囚人は発狂するか、自殺するのです。つまり自分のしていることに意味が感じられないからです。同じ作業でも水路を作るために穴を掘るとか、畑の作物に水をやるという、意味や目的がはっきりしている場合は、同じ労働に喜びややり甲斐を感じることができます。人生も同じです。人生の究極の生きる目的や、意味が分らないまま学んだり労働したりすることには、どこかしら空しさが付きまとうものです。
パウロはその老年にこう言っています。
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ3:13、14)
何と希望と意欲に満ちたことばでしょうか。あなたも、キリストに出会う時、あなたにしかできない「この一事」を発見し、それに向かって全身全霊を打ち込むことが出来るようになります。
② 心にゆとりがなく、リラックスして生きられない
多くの人々は人間関係で様々な重荷を負っています。そして、その重荷が長い年月の間に心の傷となって残るのです。心に傷を持つ人は、他人を傷つけることで自分の傷を癒やそうと無意識にしてしまいます。そして、更に人間関係を壊すことになるのです。心の重荷や傷を抱えたままでは、人は活き活きとは生きられないものです。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。・・・わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません』(ヨハネ14:27)
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