「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴言1章7節)
「教育ママ」を英語では「Jewish mother」と表現します。ユダヤ人ほど子どもの教育に熱心な民族はいないかも知れません。その結果、ノーベル賞の60%をユダヤ人が受賞し、アメリカでは弁護士の40%、大学教授の60%はユダヤ人だと言われています。
近代文明の扉を開いた人物が3人います。共産主義のマルクス、精神心理学のフロイト、相体性理論のアインシュタインです。3人ともユダヤ人です。
ユダヤ教のラビ・トケイヤーさんは、「どうしてユダヤ人は優秀なのですか」という質問に、次のように答えています。「その鍵は聖書です。ユダヤ人にとって、聖書は毎日の新聞のように新鮮なものです」
子どもが持っている能力や可能性を引き出すためには、次の2つの事実をまず教える必要があります。
① 自分には存在価値がある。
② 自分は愛されている存在である。
聖書を通して私たちが知ることは、まさにこの2つの真実です。
1. 超越者(創造者)の存在
私たち人間は、進化によって偶然にここにいるのではなく、天地万物の創造の神によって一人一人が実に個性的に、ユニークに造られた神の作品なのです。
聖書は教えます。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ」(箴言22:6)。「その行く道にふさわしく」とは、「神が与えた賜物や才能に従って」という意味です。
ユダヤ人の教育方針として3つの基本があります。
① その子の特性を見極める。
② その特性を伸ばすための長期計画を建てる。
③ その子のペースに合わせて進む。
日本人の教育はこの逆をしていると言えます。その子の特性ではなく周りを見るのです。皆がピアノ・英会話・塾に行っているから行かせるのです。また、親が自分の果たせなかった夢を子どもに押しつけるのです。こうして子どもを勉強嫌い・音楽嫌いにしてしまうのです。
ある文化人類学者は、「日本の文化は、他人の顔を見る文化である」といいます。聖書の教える「絶対者」という概念がないので常に相対的で、人と比べながら生きているのです。
自分は違うと思う方にお聞きします。もし、あなたのお子さんが「今日テスト100点取ったよ」と言えばどう反応しますか。多分「すごいね、よくがんばったね」と褒めると思います。しかし、次に「でもね、クラスの全員が100点だったの」と聞かされて「なーんだ」とがっかりしないでしょうか。100点を取ったという事実は何も変わっていないのに、その100点を他人との比較の中で評価してしまい、途端に100点の価値を下げてしまうのです。
2. 愛といのちの神の存在
アメリカ人のメイ・レムキさんは52才の時、生後6カ月の赤ん坊を養子として迎えます。しかし、その子は知的障害で両眼はつぶり、脳性麻痺で聴力もありません。友人たちは反対しましたし、看護師は、「この子は成人するまで生きられない」と言いました。
メイさんは「絶対死なせはしない。子どもは、優しさと愛情があれば、必ず治る、一時間や、一日や、一週間位では駄目だけど、いつまでも続く優しさと愛があれば必ず成長する」と言いました。
それから彼女の想像を絶するような子育てが始まりました。しかし彼女はどんな時にも優しさと愛とを失いませんでした。奇跡は18年後のある朝3時に起きました。突然息子の部屋からピアノの音が聞こえて来たのです。曲名は「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番」です。絶望的だと思われた子どもが、突然才能を開花させたのです。
精神科医は「これは『天才白痴』と呼ばれ、極まれに起こることです。しかし、どうして起こるのかはわかりません」と言います。
しかし、メイさんは断言します。「わたしには説明できます。これは愛の奇跡です。子どもたちはいつまでも続く優しさと、愛に触れ続ける時、可能性や能力を開花させるのです」
イエス・キリストは私たちを愛し、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、3日目に蘇られた方です。私たちが、このキリストに出会う時、無条件の愛に触れるのです。この愛に触れる時、人は生かされていくのです。
◇