「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」(ヤコブの手紙3章2節)
最初に一つの質問をします。今日あなたが最初に聞いたのは誰のことばでしょうか。正解は、自分の言葉です。人間は、常に自分で自分に語りかけている動物です。
ことばには非常に大きな力が秘められています。ことば一つで人を生かすことも殺すこともできるのです。
有名な心理学者アルフレッド・アドラーは、小学生の時、先生に「オマエは算数に向いていない」と言われ、それ以来ずっと算数が苦手だと思い込んでいました。ところが中学生の数学の時間に、他の学生ができない問題を、彼はたまたま解いたのです。すると先生に「キミは天才だ」といわれ、それ以来、数学に興味を持ち勉強するようになり、ついに博士となったのです。
このように、人間は人のことばに大きく左右されます。しかし、何と言っても最も私たちに影響を与えることばは、自分で自分に語ることばです。
他人がどんなに励まし、誉めてくれても、自分の心の中でその言葉を否定してしまったら、何の意味もありません。他人の語ることばより、自分が自分に語りかけることばの方が、はるかに強力なのです。
マルコの福音書5章に、長血を12年間患っている女性が登場します。彼女はイエス・キリストの噂を聞いた時、こう確信しました。「あの方のお着物にさわることでもできればきっと直る」
彼女は、肉体的、精神的、社会的、経済的にダメージを受けました。結婚し、妻となり母となる幸せも失ったのです。普通なら人生を呪い、運命を呪い、神を呪うところです。しかし、彼女は「きっと直る」と確信し、告白し続けたのです。
そして、ついに彼女は人込みを掻き分けてイエスの着物にさわったのです。その時イエスのいやしの力が流れ出て、立ち所に彼女はいやされたのです。
その時、イエスは彼女に言います。「娘よ、あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」。もちろん彼女の病気をいやしたのはイエス・キリストの力ですが、そのいやしの力を引き出したものは彼女の告白のことばでした。
イエス・キリストは、しばしば人々の病気を直した後でその人に同じことを言われました。
「あなたの信仰があなたをいやしたのです」
イタリアの有名なテノール歌手のエンリコ・カルーソーは、自分の出番を待つ間、舞台のそでの所で自分の心に向かって次のように語るそうです。「出て行け、恐れ、私の邪魔をするな!」
アメリカの偉大なランナーのカール・ルイスも、競技のスタートを待つ間、いつも自分に語りました。「大丈夫、今日もおまえは一番でゴールに飛び込める、自分の能力を信じよ」
ところで、あなたは自分自身に、いつもどんなことばを語りかけていますか。それはあなたに勇気を与え、あなたを励まし、あなたを力に満たしてくれることばですか。人はしばしば逆に自分を引き下げる否定的、消極的、破壊的なことばを平気で語っているのです。
「どうせ自分なんかダメだ、能力もないし、経済力もないし、時間もないし」と、一人ブツブツ呟いていませんか。人間が自分の母国語を聴きながら少しずつ習得していくように、自分を引き上げることばも同じように、少しずつ習得していかなければなりません。もし、あなたが前向き、肯定的、積極的、創造的なことばを覚えたいならば、ぜひ聖書をお開きになることをお勧めします。
「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする」(箴言4章20~22節)
「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ書55章10~11節)
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