先週、ある場所で、拙書『哀歌講解説教-哀歌をともに』の出版背景について、さらに私にとり「本とは何か」と率直な質問を受けました。
琉球大学聖書研究会の2人の方が継続的な努力を払い、首里福音教会のホームページに蓄積されていた記録が消去されてしまう。出版の実務を担当してくださった方が不当な圧力を受ける。出版された後も、流通販路の面で制約を受ける。小さな一冊の本が困難に直面しながら、世に送り出された事実に焦点が当てられたのです。
私にとり本とは何か。「本とは、叫ぶ石」と答えました。ルカ19章40節、「イエスは答えて言われた。『わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」に基づいての発言です。
インターネット新聞である小紙の役割の一つは、「叫ぶ石」的本が世に出るため、その準備段階として、論考執筆など、発言の場の提供にあるのではないかと、拙書出版の経験から思い巡らしています。
出版事業のための組織と予算が無きに等しく、しかも妨げる力が働く中でも、「叫ぶ石」的本が世に出るための手助けをする。
そうです。何もないわけではないのです。志(ピリピ2:13)が与えられています。主の支えにより、創意工夫を重ねる歩みをなせます。何よりも心を合わせて祈り続ける道が開けています。
(文・宮村武夫)