7月12日に、拙稿「インタビュー記事の静かな波紋」をお伝えする中で、「取材する側の意図・目的と、インタビューを受ける側の本来的に言いたいこと・主張との関係。そこには一致だけではなく、両者の間にずれが生じる微妙な側面も含まれるのではないか」と、私なりの問題意識を明らかにしました。
その上で、取材を受けてくださる側の方が、単に受け身の立場に留まるだけでなく、積極的に本紙に執筆してくださる例が増えて行くようにと、小さなインターネット新聞でもなお許されている進むべき方向を思い定め、期待を記したのです。
今回、まさに期待が現実となりました。5月30日掲載の「国際ジャーナリスト・後藤健二~それでも神は私を助けてくださる~」の取材が契機でした。そこで生まれたインタビューをめぐる後藤氏とインタビュア―の信頼関係が、後藤氏とクリスチャントゥデイの信頼関係へと波紋のように広がり、ついに10月26日に、後藤氏ご自身の執筆による「戦争に行くという意味」の掲載に至ったのです。
この論考は、戦場おける後藤氏の「少しでも動きを間違えば撃たれる、と強烈に実感して『神よ、守りたまえ』と心の中で唱え続け」られた祈り、また自らのいのちの決定をめぐる深い罪悪感の中から記されたものです。そうです。戦場の臨場感と共に、そこに留まる目撃者の内面をも映し出すレポートです。
今後も、さまざまな現場に立ち生きる目撃者自身の生きた証言が、小紙を通しても記録されて行くため、本紙記者の取材と記事が用いられるように願います。
(文・宮村武夫)