4月以降、新しい観点で、今まで慣れ親しんできた事柄を考え直す機会が少なくありません。インタビュー記事もその一つです。
取材する相手の方に直接お会いし、対話を重ね記述をなすインタビュー記事が、読み手には親しみやすく、取材される側にとっても、自分の発言が効果的に伝わる方法だと確認しています。
同時に効果的なインタビュー記事を提供するための課題を改めて思い巡らしています。誰に対し、何を目的にインタビューするのか。その営みの一番奥にある意図は何か。取材する側の意図・目的と、インタビューを受ける側の本来的に言いたいこと・主張との関係。そこには一致だけではなく、両者の間にずれが生じる微妙な側面も含まれるのではないか。
こうした課題を乗り越えて、インタビューを受ける方の個性がにじみ出てくる記事を読む経験ができ喜んでいます。
さらにインタビュー記事の特徴が、他の記事一般に影響を与える傾向さえ見ます。取材を受けて下さる側の方が、単に受け身の立場に留まるだけではない。積極的に本紙に執筆して下さる例がすでに現実になり、今後ますます増えて行くと期待しています。
こうして取材する記者と、小さなクリスチャントゥデイの外部の様々多様な執筆陣の間に、インタビュー記事に見る相互信頼の関係がより豊かな展開をなして実を結んでいくとしたら、小さなクリスチャントゥデイ全体が、神と人との対話である聖書に根差し、聖霊ご自身に導かれつつ、人と人の対話の場・出会いの場となるはずだと、その波紋のような広がりを夢見ています。いかがでしょうか。
(文・宮村武夫)