この4月から、クリスチャントゥデイ編集長として、小さな歩みを始める中で、それなりに面白い局面を経験し、クリスチャントゥデイ、つまり小なりとは言え、聖書に立つと自覚し報道したいと願う群れの有り方、その編集長・私とは何かの問いに直面しています。
すべてを知ることは出来ないのは勿論。しかし何もわからないわけでもありません。
東京下町の商家に生まれ、「坊主の頭とうそはゆったことがない」が口癖であった父親と家業を捨て、キリストに従い牧師神学教師として歩みを重ねる中で、年来の素朴なモットーを、今一層大切に求めたいと心に定めています。
あることをないかのようにしない。
ないことをあるかのようにしない。
ハイはハイ、イイエはイイエ(マタイ5章37節)。事実とことばの一致、ことばの真実を求めて行きたいのです。
そのためには、
どんな小さい人・こと・・・あなどらない。
どんな大きな人・こと(と思い、言われている)・・・たじろがない。
あなどる者に限ってたじろぐ事実を認め自戒しつつ。
自らの認識に、罪と弱さの故にゆがみのある事実を認め、「聖書をメガネに」あることをある、ないことをないと認識する道を選びつつ、助け主なる聖霊ご自身に導かれ、アンデルセンの「裸の王様」の少年のように、「王様は、裸だ」と発言し記述するクリスチャントゥデイであり、編集長でありたいと願います。
「聖書をメガネに」見るとは、狭義のキリスト者・教会だけでなく、創造者なる神の創造・救済の対象である人間、歴史、宇宙、そうです、万物を正しく、深く、豊かに視野に入れる道。一寸の虫にも五分の魂の心意気です。
一本締めで、御手を拝借、「よー、パチ!」。
(文・宮村武夫)