小紙との私の関係が書き手ばかりでなく、読み手として二重である事実を意識し、両者の深い関係を自覚しています。
書き手としては、週に1回、「聖書をメガネに」のコラムを書き、週刊メールマガジンに編集後記を書くことを中心に、時に応じて単発や連続の論説を書いています。これらは、当然と言えば当然の役割です。
今、新しく直面している課題は、小紙の記事の読み手としての役割です。小紙の記事をフェイスブックを通して紹介する目的で、各記事にコメントを書いているのです。そのため、単に記事を読んでいたときよりはるかに意を注いで各記事を読み続けています。記事を読む読者の立場に立ち、少しでも役立ち助けとなるコメントを書くために、記事をそれなりにより深く読んでいます。
また記者の立場に立って、どのような意図で記者がこの記事を取り上げ、このような切口と展開で書いているか、記事の下に徹底的に立つ――アンダー・スタンド(under-stand)――する必要があります。
この作業をなしながら、神学校の聖書解釈の授業で、聖書記者の意図を探りながら、聖書の下に徹底的に立つ、聖書の上や横に決して身を置かないように繰り返し勧めたこと、さらに説教をなすに当たって、説教の聞き手の立場に立って語るように助言していたことを思い出します。
単に過去を思い出すばかりではありません、さらに将来を展望しています。小紙の読者の方々が、単発の投稿をはじめ、多様でユニークな文で小紙を盛り上げてくださるように願います。そうです、読み手と書き手は深く関係しますから。
(文・宮村武夫)