11月4〜6日、日本福音主義神学会の第14回全国研究会議に参加し、幾つか講演を聞き、質疑応答に加わり、それなりに充実した時を持て迎えた3日目の朝食の時間でした。
今回の講師の一人のT先生と、久し振りに率直な話し合いができました。一つの課題は、聖書解釈における聖霊ご自身の導きの重要性をめぐるもので、徹底的な聖霊信仰と徹底的な聖書信仰の不可分な関係についての私の年来の提唱に、T先生が基本的にご賛同くださり、嬉しい驚きでした。
さらに喜びの指摘を頂きました。クリスチャントゥデイの働きに参与するようになった経過を手短に報告、年若き時からの説教者としての生涯と今回従事するようになった編集者としての営みの一貫性を申し上げたのです。
神の恵みの事実を記録する聖書のメッセージを、今、ここでの恵みの事実として、ことばで伝える説教者。
他方、社会のただ中での出来事をことばで記し、記された言葉を読む人の心、さらに生活と生涯の中で新たな出来事が生まれるように期待する小社の志。この両者の同一性の話題をめぐりやり取りをしている最中に、「福音書記者も新聞記者も、同じく記者」と、T先生は実に自然体で「あっさり」と指摘なさいました。
私はと言えば、「同じ記者」とのことばの共鳴を心に響かせながら、ルカの福音書の序文・1章1〜4節、「すでに教えを受けられた事がらが正確な事実である」(1章4節)を特に覚えたのです。
かくして私たち二人は、食堂から一番最後に出て行くことになりました。(続く)
■ 福音書記者とインターネット新聞記者:(1)(2)
(文・宮村武夫)