数カ月前キリスト教徒としての信仰を捨てなかったために死刑宣告を受け、その後解放され、世界中のキリスト教徒たちの注目を集めたメリアム・イブラヒムさん(27)が、ようやく落ち着いて、笑顔で体験を語った。
「信仰は命です。信仰がなければ、生きていないのと同じです」。信仰のために死ぬのが怖くはなかったかと問われ、メリアムさんはこう答えた。
米国に到着して以来最初の公のインタビューに、夫と2人の子どもたちと共に現れたメリアムさんは、スーダンで信仰のために死刑宣告を受けた後、なぜ生き延びられたのかについて明らかにした。彼女の答えは実にシンプルだった――「信仰」である。
試練を生き延びるために彼女が使った「唯一の武器」が信仰だった。信仰だけが必要なもので、必ず神が彼女を救ってくださるのだと彼女は信じた。そして実際その通りになった。
生命が危険にさらされたスーダンから1万2千キロ以上離れたニューハンプシャー州マンチェスター市で、メリアムさんは今、自由にキリスト教徒として生き、新しい家で家族との時間を楽しんでいる。ゆくゆくはスーダンで迫害されている人々のために援助を行い、宗教的自由を推し進める活動に関わることを彼女は希望しているという。
「スーダンやアフリカの人々、とりわけ女性や子どもたちを助け、宗教の自由のために活動したいと思います」と15日夜、メリアムさんは米フォックスニュースのメーガン・ケリーとのインタビューで語った。
メリアムさんは、イスラム教からキリスト教に改宗して米国人のダニエル・ワニさんと結婚したとして、今年早々、スーダン当局から有罪とされ、妊娠中に死刑判決を受けたことにより、世界的に知られることになった。
スーダン当局は、彼女はイスラム教徒であり、キリスト教徒のワニ氏と結婚するのは違法だと主張した。しかしメリアムさんは、一度もイスラム教徒であったことはないと語った。
「私はイスラム教徒であったことはありません。私は常にキリスト教徒でした。キリスト教からイスラム教に改宗した場合、イスラム教を棄てるのは難しくなります。そんなことをすれば死刑になりますので」とメリアムさんは語った。
5月、メリアムさんはスーダンの牢獄で鎖につながれた状態で、娘のマヤちゃんを出産した。「マヤは非常に大変な状況で生まれました。病院で出産すべきでしたが、その要請は却下されました。出産するときですら、私の足かせを解くことも許可されませんでした。だから鎖につながれたまま出産しました。大変でした」と当時を振り返る。
「私は神様を信じていました。神様が私を助けてくれる、私が不正の犠牲となっていることは神様がご存知だと分かっていました。私が選んだ宗教を信じることは私の権利です」とメリアムさんは語った。
「私は(キリスト教を棄てるように)3日間の猶予を与えられました。牢獄にいたとき、イスラム教の学者たちが何人か私を訪ねて来ました。彼らはイマーム(イスラム教の指導者)で、コーランを引用しながら、私を説得しようとしました。圧力は相当なものでした」
しかし、メリアムさんは屈しなかった。
「私は神様を信じていました。イマームやイスラム教の学者たちと対面したとき、私が持っていた武器は信仰だけです」
なぜ死を免れるためにイスラム教に改宗しなかったのかという問いに、メリアムさんは、自分の信仰のために闘うのみならず、スーダンのキリスト教徒の苦境にも注目を集めたかったのだと答えた。
「そう(イスラム教に改宗)したら、私は諦らめたことになります。真実でないのに、そんなことはできません。私が選んだ宗教に従うことは私の権利です。この問題で苦しんだのは私だけではありません。スーダンには、そして世界中にも、私と同じ経験をしている人はたくさんいます。私だけではないんです」と、彼女は強調した。
「スーダンの女性たちのために私は命を懸けます。彼女たちに近かったし、彼女たちの苦しみも知っています。牢獄での辛い状況も、そこでの生活も共有しています。キリスト教徒が困難な状況に置かれ、迫害され、ひどい扱いを受けていることはよく知られています。迫害が恐ろしくて、自分がキリスト教徒だと公言することができないのです」と、メリアムさんは続けた。
メリアムさんの判決は、米国務省も関わることになった公の圧力もあり、最終的に覆され、彼女は生きて家族と共にスーダンを脱出することができた。