私たちクリスチャンは何を目指して生きているのでしょうか。あなたは何を求めてクリスチャン生活をしているのでしょうか。
ある人は夢があって、その夢を神に願っているかもしれません。しかし、色々な夢があっても私たちはこの人生を必ず終えるのです。
事業を成功させたいといっても死んでしまったら、その夢は何にもなりません。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」(1コリント13:13)と書いてあります。あなたは何を求めているのでしょうか。何に希望を持っているのでしょうか。私たちは永遠の希望を持つ者でありたいです。
カナンを目指したモーセという人がいました。(出エジプト記)
イスラエルの民をエジプトからカナンの地に連れていくのです。彼は、神様から言われたからカナンの地を求め、民を連れていかなければならないと思ったかもしれませんが、実はモーセは別のものを求めていたのです。
モーセは何を求めていたのでしょうか。皆さんは何を求めているのでしょうか。私たちはクリスチャンとして求めるものは何であるかしっかり知っていきたいです。
モーセはカナンの地でないものを求めていたのです。人生は旅のようなものだといいます。旅人には家がありません。人生とはそのようなものだというのです。
「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました」(ヘブル11:16)
モーセのみならず旧約に出てくる全ての人が実は色々な問題の中で神を経験しました。小さな国なのに大国に勝ちました。しかし彼らが求めていたのはそういう勝利ではなく、また、この地での色々な問題の解決ではなく、実はさらにすぐれた故郷、天の故郷を求めていたのです。
アダムとイブがエデンの園で罪を犯しました。サタンにだまされて、善悪の知識の木の実を食べてしまいました。そのことによってどんな事が禁じられ、どんな困難が起こったのでしょうか。
アダムとイブが善悪の知識の木の実を食べ、罪人となりました。そしていのちの木の実を食べないように、近づくことが禁じられたのです。
「こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた」(創世記3:24)
人はエデンの園から追放されたのです。神のおられるところに近づけない、このような困難が起こってしまったのです。旧約聖書の中で、アダムとイブは神の元に戻ることが困難になりました。
旧約時代、神様に近づくことはできるのですが、色んな制約、困難、限定がありました。
「あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについてのあなたがたの祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職の賜物の奉仕として与える。ほかの者で近づく者は死ななければならない」(民数記18:7)
誰が神の元に近づけたのでしょうか。モーセの幕屋が作られてから、幕屋の中で、神様に近づけたのは祭司だけでした。他の者は近づいてはならない。近づくと死ななければならない。祭司だけが、その賜物をいただき神様に近づくことが出来たのです。多くの民は近づくことができなかったのです。
私は正しくないから天国に行けるだろうか、神様に近づけないと悩んでいる人がいたら、今回のメッセージが終わったとき、あなたの考えが変わり、あなたは罪を犯すけれども、天国に入っていける、ゆるされている者だという確信ができる人となっていると願っていますし、神様はそのようにしてくださると思います。(続く)
■ クリスチャンの求めるもの:(1)(2)(3)(4)(5)(6)
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徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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