各地で「家の教会」を支援している「Good News Station」の田中啓介牧師から、中国宣教レポートを寄稿いただきました。田中牧師は大連、杭州、北京、天津、郭州などの地下教会においてメッセージを語り、人々の心の渇望とキリスト教信仰の広がりに触れてきました。以下、田中牧師の報告を掲載します。
20年ほど前、私が通っていた教会(WLAホーリネス)に、日本から中国へ聖書を運ぶ活動をされていたM宣教師が来られました。その時のお証しは、次のようなものでした。
中国の「家の教会」を訪ねた時、土間を掃除している一人の男性がいた。献身的な働きぶりに、M師はてっきりその家の使用人だと思った。ところが集会が始まると、その男性が前に立って話し始めた。その人は何百万人という信徒を抱える「家の教会」グループのリーダーで、河南省のクリスチャンで彼を知らない人はいないということで、とても驚かされた。
この話が私にはとても印象的で、いつかこのリーダーにお会いしたいという思いを持ったのが、中国宣教を始めたきっかけです。
私が献身した後、M師と家族ぐるみの交流が始まり、教会の礼拝や「家の教会」などに彼をお招きしたり、彼らが私のメッセージを聴きに来てくださったり、公私ともども交流を深めていました。
私が米国から日本に帰国した2011年からは、東北の被災地伝道を中心に働いていました。しかし、「中国におけるリバイバルの現実をこの目と身で実際に体験しておかなければ日本のリバイバルの働きに携わることはできない」という強い思いが当時からあり、それが実際に中国に赴いた理由です。
M師は30年以上前から中国全土で宣教活動をし続けている日本語と中国語のバイリンガルで、地下教会の状況に精通し、現地では、中国人で通っている人です。彼という存在を通してでなければ、日本人が中国宣教に行くことなどは不可能でした。
■ 逮捕収監され、釈放されるとまた伝道を
2012年と2013年に私はM師とともに中国を訪ね、各年10日間かけて、大連、杭州、北京、天津、郭州などの地域を回りました。約3400キロを移動するという超絶スケジュールで、その間は教会でメッセージを話しているか、食事や睡眠をとっているか、車で運転しているかという忙しさでした。
一口に「家の教会」と言っても様々な形態があり、北京などの都会では政府職員やビジネスマン、大学生などのインテリが集まっている教会や、10代後半から20代前半の若者たちが集まっている宣教訓練所などがあります。地方では農村に点在して農民たちが集まっている「家の教会」です。前述した「家の教会」のリーダーがおられる河南省が中国リバイバルの中心地と言えます。その多くが農民です。
中国の「家の教会」はほとんどが無牧ですので、リードするのは信徒リーダー。牧師も食事もない場所に、毎週必ず新しい人が数人来ています。数カ月もすると30人以上になるので、枝分かれして別の場所で集会が持たれるようになる。そうやって中国の「家の教会」は、あっという間に大きくなり広がっています。
北京の教会では、事務所の10畳ぐらいの部屋にびっしり人と詰まっている状態。賛美、聖書朗読、証し、その週に学んだことをシェアし合う。それだけで3時間。北京の教会には、英語を話せて世界や日本の情報をよく知っている、かなりインターナショナルな感覚を持った人が何人もおられました。
前述した「家の教会」のリーダーの方は、車で20分かかるところを歩いて迎えに来てくださリ、私たちの荷物を両手に持って、スタスタと先を歩いて行かれるような、私たちが日本から来たことを、涙を流しながら感謝して祈り、実に色々と気を使っくださり、私が20年前に想像した通りの人でした。
彼はこれまで何度も公安に捕まり、牢獄に入れられ、外に出るとまた伝道を繰り返すという生活をしています。一見すると農家のオジサンですが、本当に天使のような顔をされています。日本から牧師が来るということで、50人近い人たちが泊まり込みで集まって来ていましたが、公安に目をつけられるため、人数はなるべく制限しているということでした。
「家の教会」では、朝3時間、午後4時間、食事をしてまた夜に4時間というように、一日中しゃべりっぱなしの状態です。しかし、ダレルような人は一人もおらず、目を爛々とさせて、ずっとメッセージに聴き入っています。それだけ、彼らは御言葉に飢え渇いているのです。
最終日に私たちが帰る時には、皆、大きな声で賛美をして送ってくださいました。その時の別れの賛美と、朝、私がまだ部屋にいる時、彼らが先に集まって、賛美している声が聞こえてきたのですが、それはまさに天国の歌声のようでした。私が最も中国で印象的だったのは、この賛美の美しさと強さでした。(続く:迫害や収監さえも“福音を伝える好機”と考える人々)