対立の歴史を背負うアイルランドと朝鮮半島――その共通した分断の歴史を持つ北アイルランドと韓国の両国のキリスト教平和教育者を講演者に迎え、シンポジウム「分断と憎しみを超えて」(同実行委主催)が20日、国際文化会館(東京都港区)で開催された。
シンポジウムのはじめには、同実行委員であり、元NHKヨーロッパ総局長でジャーナリストの大貫康雄氏があいさつ。「人々の紛争史を克服する闘いは、壁が高いだけに非常に厳しい。その中でそれを何とか乗り越えようとする人たちの努力というのは本当に素晴らしいものがあると思う。そういう人たちの、困難であればあるほどそれを乗り越えようとする努力というものは、いかに貴重なものか、いかに力になるものかということを北アイルランドで私は見た」と語った。
その上で大貫氏は、「今回、マクマスターさんとジソクさんがお話をされるということで、北アイルランドがいかに困難なものか、しかし困難であればあるほどそれを乗り越えようとする不屈の精神というものについて、皆さんは具体的にお話を伺えるのではないかと思う。私は宗教者ではなく、単なる報道関係にずっといた者だが、人権・弱者への視点を忘れた報道は単なる権力の広報機関になると常々思っている。それは今の日本に非常に共通することだ。今回こういうお話を伺いしながら、原点に立たしていただければと思う」と語った。
■「憐れみ・愛・正義・平和」で「分断・憎しみ」を超えられる
最初に講演したのは、北アイルランドのジョンストン・マクマスター博士。マクマスター博士は牧師でもあり、ダブリン大学トリニティ・カレッジのアイルランド全キリスト教会学部助教授で、和解プログラムのための教育コーディネーターを務めている。この日は、「分断と憎しみを超えて」と題して講演した。
マクマスター博士は講演で、憎しみには、単純な憎しみ、意地悪な憎しみ、敵意のある憎しみ、報復の憎しみ、主義に基づいた憎しみ、道義的な憎しみ、正義の憎しみ、があると述べた。
一方、深い悲しみとゆるしに、分断と憎しみを超える希望と展望があると言う。人類が霊的かつ人間的であることから、真の人間性の中心に迫ろうとする上で、1)私たちが欠点のある存在であること、2)私たちが関係のうちにある存在であること、3)私たちが憐れみをもつ存在であること、という3つの点を指摘した。
「憐れみ・愛・正義・平和」という「霊的な人間の価値によって私たちは分断と憎しみを超え、歴史を創る者、そして平和を築く者となることができる」とマクマスター博士は言う。「分断と憎しみを超えるための私たちの希望や展望は現実のものである。聖なる神秘が私たちを下からそして内から維持し、私たちの霊的な人間としての可能性の実現に向けて私たちを彼方から前へと引き寄せるのである」と語った。
マクマスター博士は、1946年北アイルランドのポータボジー生まれ。米エバンストンのガレット福音主義神学校で博士号を取得。北アイルランドのデリー州ロンドンデリー市にある連結を意味する団体「ジャンクション」で、倫理および1912年から1922年の出来事を共に想起するプロジェクトの特別研究員を務めている。16年にわたり北アイルランドおよび対立当事国で、アイルランド全キリスト教会の和解プログラムのための教育責任者として働きを行っている。
■「内なる平和」、平和教育に不可欠 市民は平和運動の担い手
続いて、牧師でもある韓国のジョン・ジソク博士(国境平和学校校長)が、「平和教育と平和構築のための市民社会の役割」と題して講演した。
ジソク博士ははじめに、なぜ今日の世界において平和教育が必要なのかと問いかけ、「平和教育はただ単に平和の理論を教えるという以上に、私たちに平和を実践するための勇気と知恵を与えてくれる。それは私たち自身や隣人、家族、社会、そして世界に対する責任と、愛の振る舞いや態度を養うことを目的とする」と語った。
ジソク博士はまた、平和教育に不可欠な要素として「内なる平和の体験」を強調した。「私は平和教育が内なる平和と社会の平和運動に向けた不可欠な段階だと信じる」と言う。
一方、ジソク博士は、北東アジアにおける平和構築のための市民社会の役割については、1)平和は普通の人々の日常生活の中で実現されるべき不可欠な必要条件である、2)国民国家同士の軍事的紛争を予防するために、市民社会は文民同士の活発な交流や会合を通じて、極めて重要な役割を担うことができる、3)市民社会は人道主義とコスモポリタニズム(世界主義)に根差して活動する、と述べた。
ゾソク博士はさらに、市民のための平和教育について強調し、それは社会に平和を築くために不可欠かつ意味のあるものであると述べた。また、市民の平和運動について、市民は平和運動の主な担い手であり、平和は単に戦争がない状態だけでなく、いのちの安寧のために不可欠な条件であって、究極的には平和とは戦争の文化を平和の文化へと変革する積極的な努力を意味すると述べた。
ジソク博士はその上で、1)市民の平和運動は多文化社会において緊急なものとなっている、2)市民社会は社会や国家間で対立する集団同士の間に平和をつくる者として、また和解をもたらす者としての役割を担うことができる、3)隣国同士の戦闘を防ぐことは市民社会の極めて重要な役割である、4)生態系の保全は市民の平和運動がもつ重要な任務である、と述べた。
そして結論として、「平和構築の使命は政府だけの責任ではなく、市民社会の極めて重要な任務であるべきだ。暴力の文化を平和の文化へと変革するには、政府と市民社会の協力が必要だ。しばしば政府は対処しにくい問題に直面し、ナショナリズムが平和の脅威となる。個人・社会・国・地球村のレベルにおける平和構築のための市民社会の役割は増大しつつある」と語った。
「国連のような国際組織は、市民と市民グループが積極的に世界のための平和運動に参加するよう呼びかけている。地域・国・地球規模のレベルにおける市民のための平和教育は、今日の平和をつくる人たちを多文化の地域社会や国同士、そして地球村における平和の使者・平和の仲介者・そして平和の教師として教育するのに貢献できる」と結んだ。
ジソク博士は1960年生まれ。韓国で社会学学士と神学修士の学位を取得。アイルランドでエキュメニズム運動及び平和学を収め、哲学修士の学位を取得。イングランドで博士号を取得。83~91年まで、ソウルの繊維工場地区の郡部教会と草の根教会で、長老派牧師に任ぜられた。92~97年まで、キリスト教学園社会教育研究所と韓国キリスト教会協議会(NCCK)で社会教育、人権、平和教育のために働いた。2001~02年まで、ユネスコ・アジア太平洋国際理解センターで国際的な平和教育のために働き、04~09年まで、ソンゴン大学とハンシン長老派学校で「平和と精神性の倫理」を教えた。50歳の時、人生の後半を南北朝鮮の平和と統一のための運動に捧げることを決意。13年3月には、非武装地帯(DMZ)平和プラザに、平和運動家を教育する目的で国境平和学校(BPS)を設立。現在は国境平和学校の創設理事(校長)、韓国YMCA生命平和センター理事、韓国宗教と平和協議会の宗教対話委員会委員を務めている。
■ 原発問題、領土問題、ナショナリズム 宗教が持つ役割
両博士の講演後には、パネルディスカッションが行われた。コーディネーターを務めた宗教学者の島薗進・上智大学教授(同大学グリーフケア研究所所長、東京大学名誉教授)は、両博士の講演について「こういう洞察から絞り出される知恵から学んでいきたい」と語った。
その上で、島薗教授は、1)分断について、真実を明らかにしようとすると差別が広がるからやめろということが起こる。福島については私の展望は暗い。中国と日本との間の領土問題もある。知るプロセスで違う認識を持っている人たちが認識を共にしようとする時、それが平和とどうつながるのか、2)宗教協力・対話の可能性、宗教が引き起こしてしまう分断、3)ナショナリズム、という3つの問題を提起した。
これに対し、マクマスター博士は「アイルランドでは原発がなくその建設計画もないので、原発問題については答えられないが、私たちの地球の持続可能性のために、私たちは既存のものに代わる経済モデルやエネルギーのモデルを開発する必要がある」と語った。また、「宗教の役割は、正義と平和そして憐れみをもたらす源である」と述べた。
マクマスター博士は、「宗教が紛争や戦争、そして暴力を助長してしまうのは、それが権力政治のシステムやナショナリズムと結託する場合」であり、そのような「システムが殺人や大量虐殺のためにさえ宗教を利用し操作するのだ」と述べ、宗教と国家、ナショナリズムの問題を指摘した。
一方、ジソク博士は「原発の問題が韓国では賛否両論に分かれており、開かれた議論が行われていない」と述べた。また、「中国と韓国そして日本の過去に対処する上で宗教団体の役割は非常に不可欠だ」とし、宗教の可能性について前向きな視点を述べた。その一方で「ナショナリズムは国々の間の対立の主な原因になりうる」とも指摘した。
その後の質疑応答で、会場からは戦争などによる分断と憎しみについて、「先祖が行ったことをどこまで責任を負うべきか?」という質問が出された。マクマスター氏は、「先祖の声は力強いと思う」と答え、過去を理解し認めて正義と癒しを求めることの必要性を述べた。
これに対し、ジソク氏は「私は謝罪が間違ったことだとは思わない。謝罪によって新しいことを始めることができる。謝罪は勇気であり、力である」と述べた。