アンテオケ教会に学ぶ(Ⅰ)
使徒の働き11章19節~26節
[1]序
今回と次回は、異邦人宣教のため用いられたアンテオケ教会の姿を通して学びます。
使徒の働き11章19節以下では、アンテオケ教会がエルサレム教会迫害のため散らされた人々の困難な生活の中で誕生した事実をルカは記しています。またアンテオケでギリシヤ人への福音宣教が「幾人」かの人々の働きを通し進められました。「幾人」かを軽視したり、無視してはならないと教えられます。
エルサレム教会からアンテオケに派遣されたバルナバは、アンテオケ教会の人々と直接交わりを持ち、「神の恵みを見て喜び」、さらに「みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励まし」(23節)ました。
今回は、25節と26節を通し、アンテオケにサウロを招く次第、またサウロのアンテオケにおける働きに注意したいのです。
[2]サウロを捜しにタルソへ
23、24節で明らかなように、バルナバはアンテオケ教会において的確な指導をなし、「大ぜいの人が主に導かれ」ていました。
しかしそれにもかかわらず、サウロをアンテオケ教会の指導者として招くためバルナバはタルソに向かいます。その理由は少なくとも二つ考えられます。
(1)アンテオケ教会の必要と使命
アンテオケ教会に現実となっている神の恵みを見てバルナバは喜び、適切な指導をなしていました。
その中で教会の持つ必要を感じ、欠けを見抜き、自分だけでは十分果たしえない役割を担う者を求めたと判断できます。
さらにバルナバはアンテオケ教会がいかに大切な使命を神から委ねられているかを悟っていたのです。ローマ帝国第三の都市アンテオケから異邦人への宣教。この重大な使命を与えられているアンテオケ教会に自分以外の指導者が必要であるとバルナバは痛感し、教会の祈りに支えられながら、サウロを捜しにタルソへ行ったと考えられます。
(2)サウロを
ではなぜ特にサウロを捜しに行ったのでしょうか。エルサレムにもアンテオケにも他に指導者がいたのです。サウロこそアンテオケ教会の必要を満たし、教会に委ねられている使命を果たすため用いられる人物とバルナバが確信していたからです。
バルナバは、エルサレム教会でサウロと会い、あのダマスコ途上での経験またダマスコでの宣教活動について直接聞いたのです(9章26節から30節)。さらにサウロがエルサレムで大胆に、そして効果的に福音宣教を展開している様を直接見聞きしたのです。
このようにサウロの証と直接目にした宣教活動を通し、バルナバは深い印象を持つようになったに違いありません。タルソにサウロを送り出してから(9章30節)、今タルソにサウロを迎えに行くまで、7、8年の年月が経過していると推測できます。
この期間、サウロはタルソを中心に忠実に福音宣教に従事し、その様子をバルナバやアンテオケ教会の人々は聞いていたと推察できます。ダマスコ途上の経験からすでに十数年が経過しています。この期間のサウロの生き方と働きを見て、サウロこそ主なる神が備えてくださった人物だとバルナバは確信したのです。
[3]アンテオケ教会の協力
アンテオケ教会に導かれて来たサウロは、どうしたのでしょうか。「大ぜいの人たちを教えた」(26節)のです。神のことばを説き明かしたのです。しかもサウロはアンテオケで単独で働いたのでなく、バルナバをはじめ幾人もの同労者たちと共に(13章1節)、それぞれの賜物を生かし仕え合い働いたのです。
[4]結び
アンテオケ教会の誕生の次第。バルナバとサウロそれぞれのアンテオケ教会における役割を通し、異邦人宣教のため整えられて行くアンテオケ教会の姿から教えられます。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。