順序正しく説明
使徒の働き11章1節~18節
[1]序
前回まで使徒の働き10章の記事を通し、コルネリオたちの回心に接してペテロが異邦人への宣教について貴重な経験を重ね、理解を深めて行く様を見てきました。ペテロはコルネリオに宣教するばかりでなく、コルネリオの身に起こったことを通しペテロ自身が神のみむねをはっきり悟りました(10章34節と35節、「そこでペテロは、口を開いてこう言った。『これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです』」)。
今回の箇所では、「事の次第を順序正しく説明する」ペテロの証言に基づき、エルサレム教会が異邦人の救いについての神のみむねを悟る姿を描いています。
[2]順序正しく説明
(1)ペテロに対する非難
使徒たちやユダヤにいた兄弟たちが、「異邦人たちも神のみことばを受け入れた」とのニュースを耳にしました。
ところが、このニュースを聞いた「割礼を受けた者たち」(2節)は、カイザリヤから戻ったペテロに対して、「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした」(3節)と非難したのです。
この「割礼を受けた者たち」とは、単に自分自身が割礼を受けているだけではなく、異邦人キリスト者すべても割礼を受ける必要があると主張していた人々を指すと考えられます(参照15章5節、「しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、『異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである』と言った」)。
彼らの目からすると、ペテロが異邦人コルネリオたちのもとに行き福音を宣べ伝え、彼らが主イエスにある罪の救しを経験した喜びより、ペテロが割礼を受けていない人々と食卓を共にしたことの方が問題なのです。神の律法ではなく、人々の言い伝えに基づき、ペテロを非難します。
(2)順序正しく説明
この非難に直面したとき、ペテロは、5節から17節に記されているように、「事の次第を順序正しく説明」して行くのです。
「順序正しく」と訳されていることばは、新約聖書の中でルカの福音書(1章3節、8章1節)と使徒の働き(3章24節、11章4節、18章23節)だけで用いられている、ルカ特有のことばです。
たとえばルカの福音書を記す際、「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよい」(1章3節)とルカは自分の計画を述べています。ルカは福音書をはっきりとした目的に基づき全体に一本筋を通し順序を立てて書いたのです。
また主イエスの宣教旅行についても、「その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした」(ルカ8章1節)と一定の計画に基づくものと描きます(参照パウロの場合、使徒の働き18章23節、「そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」)。
非難に答えペテロが説明する場合も、その順序正しさについてルカは特に記しています。
★「事の次第」(4節)、つまり10章ですでに見たコルネリオについての記事を繰り返し、それがいかに重要な事柄か巧みに読む者の心に刻みます。
(3)強調点
では、11章は10章の完全な繰り返しなのでしょうか。
いや相異もあります。その一つは、11章16節です。コルネリオたちの上に生じたことを終始目撃して、自分の心に強く迫ってきたことを、「私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたがは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました」とペテロのことばをルカは記しています。
ペテロが思い起こした主イエスのことばは、使徒の働き1章5節に記されているもので、エルサレムにおけるユダヤ人への聖霊降臨のとき、この主イエスの約束は成就したとペテロは考えていたのです。ところがカイザリヤで異邦人コルネリオたちへの恵みを見て、主イエスの約束が異邦人を含むことをペテロは認め、その豊かな広がり(エペソ2章14節「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし」)を悟ったのです。
[3]その結果
ペテロが「事の次第を順序正しく説明した」結果、ペテロを非難していた人々も沈黙せざるを得ませんでした。そればかりでなく、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」(18節)と悟って、神をほめたたえたのです。
[4]結び
ペテロが後に、困難な中で生活していた人々に、今回の箇所と深くかかわる勧めを与えています。Ⅰペテロ3章15、16節、「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう」。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。