コルネリオをはじめ異邦人も、聖霊を受け、バプテマを受ける
使徒の働き10章44節~48節
[1]序
今回は、10章44~48節を読み進めます。コルネリオをはじめ異邦人も、ユダヤ人と同じく聖霊を受け、バプテマを受ける場面です。
[2]異邦人にも聖霊の賜物が
43節までに要約されている主イエスによる罪の救しを中心とするペテロの宣教に耳を傾け心を開いていた人々に、目に見える変化が生じたのです。
(1)何が起こったのか
「みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった」(44節)とルカは報じています。45節と46節は、ペテロと一緒にヨッパからカイザリヤに来た六名の人々(11章12節)の視点から描かれ、コルネリオたちが異言で話し、神を賛美していた事実をあげています。ペテロが主イエスの御業と罪の救しを宣べ伝えているのを聞き、主イエスを救い主と信じたのです(ローマ10章17節)。
そうです。エリコのザアカイの場合と同様、カイザリヤのコルネリオの場合も、「きょう、救いがこの家に来ました」(ルカ19章9節)と、救いの喜びが現実になったのです。
「聖霊がお下りにな」(44節)る事実、「聖霊の賜物が注がれる」(45節)事実は、罪の救しの喜びと堅く結ばれています。主イエスを救い主と信じる信仰は、恵み豊かな聖霊ご自身の助けによるものなのです(Ⅰコリント12章3節)。
(2)その意味は
ペテロとヨッパから同行した六名が驚いたのは、「異邦人にも聖霊の賜物が注がれた」(45節)からです。
この点は、ペテロ自身が「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです」(11章15節)との証言も明示します。ユダヤ人である主イエスの弟子たちの上に聖霊を注がれ、罪の救しの喜びに導かれたように(2章38節参照)、異邦人にも等しく罪の救しは指し示されています。
44節から48節に見る出来事は、ペテロだけでなく、エルサレム教会全体の異邦人宣教に対する理解のためにも大きく用いられた(11章18節)のです。
11章19節以下に見るアンテオケ教会の実践と同時に、聖霊ご自身の導きにより、ペテロやエルサレム教会においても異邦人宣教の意味が正しく受け止められて行く姿を見ます。聖霊ご自身の助け・導きにより、神の民が神のご計画実現のため用いられて行きます。
[3]イエス・キリストの御名によってバプテスマを受け
(1)中心は
第一に注意すべきことは、コルネリオたちはバプテスマを受ける前に、ペテロの宣教に耳を傾け、聖霊の賜物を受けた事実です。福音を聞き、聖霊ご自身の助けにより主イエスを信じることが大切です。主イエスご自身がすべてのすべてなのです。
(2)バプテスマの意味
47節で、コルネリオたちがバプテスマを受けることを誰も妨げえないと述べ、続いて、「イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた」(48節)とあります。
バプテスマは福音を聞き信じる代わりにはならず、神ご自身が備えられた主イエス・キリストの贖いこそ救いの根拠です。バプテスマは、弱い私たちが主イエスの十字架がこの私のためであることをしっかり確認できるため与えられている恵みの手段です。
「御名による」とは、主イエスの名入りの印を押され、主イエスの所有となり、主イエスと一つにされることを指し示しています(マタイ28章19節、「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」、参照ローマ6章1節以下)。
[4]結び
コルネリオを始め異邦人へと福音の恵みの広がりそして結実。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。