コルネリオとペテロ
使徒の働き10章1節~33節
[1]序
今回は、かなり長い箇所・10章1節から33節について、まず前後関係、次にこの箇所の内容に注意したいのです。
9章1節から30節は、異邦人への宣教者サウロの召命の記事でした。しかしすぐにサウロの異邦人への宣教をルカは伝えていませんでした。9章31節から43節では、ペテロの宣教活動。そして10章1節から11章18節では、ペテロのコルネリオ・異邦人への宣教について詳しく伝えています。
その後11章19節から26節ではじめて異邦人宣教において大切な役割を果たすアンテオケ教会とそこでのサウロの位置をルカは取り上げ描いています。この流れを通して、異邦人への宣教のために召されたサウロの重大な使命と、それにもかかわらずサウロばかりでなく、ペテロによっても宣教は押し進められる様をルカは明らかにしているのです。
10章1節から33節は、四つの部分に分けることができます。
1. コルネリオ(1~8節)
2. ペテロ(9~16節)
3. コルネリオとペテロ-コルネリオの使者を通し間接的な出会い-(17~23節)
4. コルネリオとペテロ-直接的な出会い-(24~33節)
異邦人宣教のため主なる神が忍耐深く計画を進めておられる様を見ます。
[2]コルネリオは
(1)祈りの中で
コルネリオについて、「いつも神に祈りをしていた」(2節)とルカは紹介。これは「ある日の午後三時ごろ」(3節)とあるように、毎日一定の時間を定めコルネリオは祈りの生活を重ねていたのです。
3節から6節の「幻の中」の対話は、コルネリオが祈っているときの事柄と理解できます。コルネリオは、祈りの中で「さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい」(5節)と主なる神から命令を受けたのです。すべてをコルネリオは初めから悟っているわけではないのです。しかし知らされている限度の中で主なる神に従うのです。あのサウロの場合と同じです(参照9章6節、「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです」)。
(2)誤りを正されながら
コルネリオの問題点もルカは指摘します。コルネリオはペテロを迎えた際、「彼の足もとにひれ伏して拝んだ」(25節)のです。
ペテロのこの上ない鋭い禁止のことばをもって正されなければならなかったのです。
★主イエスの場合との根本的違い、ヨハネ20章28、29節。
(3)ペテロを通して
しかしもう一つの面も見ます。「いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております」(33節)と、人を通しても主なる神が語られることに聞こうとする態度を見ます。しかも「いま私たちは」と、単に個人としてばかりでなく、家族、友人や部下などと共にです(2、7、27節参照)。
[3]ペテロ
(1)祈りの中で
ペテロの祈りの生活についてもルカは伝えています(9節)。
(2)思い巡らし
ペテロの祈りの記事において、17節から19節も注意を引きます。「ペテロが幻について思い巡らしているとき」(19節)とあります。
「思い巡らす」とは、「考える」ことです。考えながら祈り、祈りながら考え、次第に異邦人宣教への神のみこころを悟り、自らも神のご計画の中で用いられる備えがなされたのです。
神のことばである聖書を読みながら考え祈る。祈りながら聖書を通し神のことばに聞き従う私たちが進むべき道が示されています。
(3)異邦人宣教
異邦人に対して誤解していたペテロ(28節)は、コルネリオの報告を聞き、神のみこころを「はっきりわかり」(34節)ました。またコルネリオと彼の家族たちに起こった事実を通し整えられ、他の人々にも神の異邦人宣教計画を大胆に証言します(11章1~18節)。
[4]結び
主なる神は、コルネリオを忍耐深く取り扱い、ペテロを導き整えながら御業を進めて行かれます。彼らの祈りの生活を用いられるのです。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。