教会の祈り
使徒の働き12章1節~17節
[1]序
今回は使徒の働き12章に進み、再びエルサレム教会での出来事を見ます。
1節と2節は、ヤコブの死をめぐる記事。3節以下では、ペテロの投獄をめぐりエルサレム教会が神に熱心に祈り続ける姿とペテロの解放を描いています。
[2]ヤコブの死
(1)ヤコブ殺害の理由
12章1節の「ヘロデ王」は、新改訳聖書の脚注に見るように、「ヘロデ・アグリッパ一世」、クリスマスの記事に登場するヘロデ大王の孫に当たる人物です。彼はユダヤ人に対する一種の人気取りを目的として、エルサレム教会を迫害したと推察できます。
6章で見たステパノ殺害に引き続く迫害は、律法や神殿、何よりも主イエスに対する理解をめぐる宗教的理由に基づく迫害でした。しかしここでの迫害は、「ユダヤ人の気に入る」(3節)ことを目的とする、政治的理由に基づくもので、「剣」(政治的権力)で殺したと伝えられています。
(2)ヤコブ殺害に直面した教会
1節と2節では、短くヤコブ殺害の事実のみを描いています。教会がどのように処したかルカは直接何も語っていません。
しかし3節以下に見るペテロ投獄に際し、「教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた」(5節)が、ヤコブの場合はそうではなかったと考えるのは困難です。教会は祈り続けたのですけれども、ヤコブは無残にも殺害された。ヤコブは殺害され、ペテロは解放されたのです。いずれの場合も、教会は祈り続けていたのです。
ヘブル人への手紙11章32節から35節前半(34節、「剣の刃をのがれ」)と35節後半から38節まで(37節、「剣で切り殺され」)との比較が、ヤコブとペテロの場合についての理解のため助けになります。
[3]教会の祈り
(1)ペテロは
4節には、ヘロデ・アグリッパ一世がペテロを逮捕、投獄、そして厳重に監禁している様子をルカは描きます。
「四人一組の兵士」とは、牢の中でペテロの左右にあって、自らペテロと鎖でつなぎ身をもって監視する者二人と牢の戸口で番をする二人。
6節以下では、ヘロデがペテロを民の前に引き出す前夜、ペテロが解放される出来事を記しています。厳重な監視の中でペテロが寝ている姿を見ます(参照、ルカ22章44、45節、詩篇121篇1~4節)。神のユーモアと言いたいほどです。
ペテロに御使いが一つ一つ指示を与え、ペテロが服従して行く様をルカは7節と8節で描きます。これもユーモア。ペテロの歩みに応じ、一歩一歩時間を費やし救いの御業を押し進められます(10節)。神のご忍耐とあわれみです。
ペテロは主なる神の救いの御業を悟ったとき(11節)、獄中からの解放を単に個人的体験としてばかりでなく、教会全体が公に受け止めるべき事柄・経験として理解し、そのように行動します。
(2)教会は
5節。ペテロ逮捕の現実に直面したとき教会がなしたこと、それは祈りです。
教会が祈ってもヤコブは殺害されたのです。しかしペテロ投獄の報に接し、動ずることなく教会は祈り続けるのです。
マリヤの家(12節)やその他の家庭で集まり祈祷会を持ちました。それらの諸集会は互いに密接な連絡を保っていたようです。
12節には、夜を徹して祈る教会の姿を見ます。主なる神がこの教会の祈りを聞いてくださり、人々の思いを越えた方法で解き放ちの業をなして下さったのです。ペテロが悟った内容を教会全体が一歩一歩理解して行きます。
[4]結び
エルサレム教会は困難に直面したとき、祈り続けています。共に集い祈り合っていたのです。幾つもの家庭を中心に祈りの集まりが持たれ、それぞれの集まりの間で密接な連絡が保たれ、全体としてエルサレム教会として統一が保たれていた様子を見ます。
姉妹教会相互の祈りの大切なこと、さらに教会のあり方を教えられます。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。