脳性麻痺と共に生きる
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脳性麻痺と共に生きる(43)電動車椅子で修学旅行 有田憲一郎
修学旅行の訪問地を調べて準備会で発表したものの、僕の発表は、漢字が読めないなど散々なものでした。僕の作成した資料は、ガイドマップなどに書いてある内容をほぼそのまま、ワープロで書き写したものでした。
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脳性麻痺と共に生きる(42)修学旅行準備会 有田憲一郎
高等部になり、足の激痛に耐えきれずまともに学校に通えなかった僕は、部屋の時計に目がいくたびに「今何時間目で、〇〇の授業か」と授業の光景を思い浮かべていました。
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脳性麻痺と共に生きる(41)足の痛みともう1つの苦しみ 有田憲一郎
小学部4年生から高等部2年生まで、普通校では林間学校と呼ばれている生活訓練が行われます。初めて経験した静岡県の伊豆下田で行われた3泊4日の生活訓練は、同級生が楽しそうにはしゃいでいる中、精神的に幼かった僕は寂しさや恐怖心で泣き、先生に甘えていました。
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脳性麻痺と共に生きる(40)生活訓練 有田憲一郎
養護学校(特別支援学校)には、生活訓練という行事があります。普通校では林間学校と呼ばれるものです。小学部4年生から毎年、2泊3日や3泊4日の宿泊訓練が行われています。
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脳性麻痺と共に生きる(39)学校を休んで 有田憲一郎
高等部1年生の時に初めて参加した全肢連(全国肢体不自由児者父母の会連合会)の関東甲信越のブロック大会と全国大会は、緊張して不安を覚える中にも、「今から何が始まるのだろう」という期待と楽しみが交錯していました。
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脳性麻痺と共に生きる(38)初めて参加したのは高校1年生 有田憲一郎
中学部3年生の夏休みに、家族4人で東京から両親の故郷である長崎に車で行った以前から、旅行は好きでした。それまでも年に1、2回は関東甲信越地方に車で出掛け、観光地を回ってホテルに1、2泊して旅をしていました。
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脳性麻痺と共に生きる(37)旅好きの始まり 有田憲一郎
冬は寒く、障碍(しょうがい)の関係で体の硬直や緊張が強くなったり、痛みも出てしまうこともそうですが、夏休みには学校で嫌いなプール教室があったものの、何よりも遊びに出掛け、旅行にも行けるということが一番の楽しみでした。
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脳性麻痺と共に生きる(36)これが僕の反抗期・・・? 有田憲一郎
「先生が心配していたよ」と、父が言ったことがあります。それは中学部の頃のことです。保護者会で担任の先生から、こう言われたそうです。「有田君、反抗期なのにあんまり反抗しないでおとなしいんです。それがちょっと気がかりで、心配しているところです」
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脳性麻痺と共に生きる(35)足が痛い 有田憲一郎
毎日、部屋で寝ていると、「朝だよ。起きなさい。学校、遅れるよ」と言われていました。朝は体も硬い上に低血圧気味だった僕は、寝起きの悪さも加え、僕を起こすにも両親は大変だったと思います。
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脳性麻痺と共に生きる(34)タイプライターからワープロへ 有田憲一郎
僕は手が不自由なので、自分でペンを持ち文字を書くことができません。そのため、幼い頃からタイプライターを習っていました。自分を表現する手段としてもそうですが、機能回復訓練の1つとして電動かなタイプライターを習い始めていました。
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脳性麻痺と共に生きる(33)高等部にはクラブ活動がない 有田憲一郎
以前にも書きましたが、高等部に入学してオリエンテーションが行われました。僕はまったく理解しておらず、「今日は、ゲーム大会をするんだ」と思い込み、普段より楽しみにして学校に行ったことを懐かしく思い出します。
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脳性麻痺と共に生きる(32)恐怖のプール 有田憲一郎
夏前の5月6月ぐらいになると「早く夏にならないかな」と学校のプール開きが楽しみになる子どもの姿があります。プールが始まると大いにはしゃぎ、9月のプール納めの時には寂しさを感じる。そんな思い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
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脳性麻痺と共に生きる(31)午前2時に飛び起き 有田憲一郎
「休むことは悪いこと」。両親の教えの中に、そんな教えがありました。直接言葉では言わないものの、日常的な行動や態度を示し、僕に伝えていたのだろうと思います。
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脳性麻痺と共に生きる(30)手動車いすから電動車いすに 有田憲一郎
前回、僕は1人では外に出たがらなかった話を書きました。高等部になるまでは手動の車いすだったので、外に出ても自分で漕いで動くことができず、「日なたぼっこしておいで」と外に出されても、1人では外に出ようとしない僕がいました。
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脳性麻痺と共に生きる(29)1人では出たがらなかった 有田憲一郎
皆さんは、自分の足で自由に歩け、自分の手などが自由に動かせて、ある意味、何でもできる自分の体に感謝したことはありますか。自分の体が自由に動き、「行きたい」と思えば、どこにでも1人で自由に行けることが当たり前に思ってはいないでしょうか。
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脳性麻痺と共に生きる(28)英語で日付、そしてオリエンテーション 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)には、軽度の障碍(しょうがい)の子から重度の障碍の子までさまざまな障碍を抱えた子どもたちが通っています。僕も含め、ほとんどの児童・生徒は車いすに乗った子で、毎日スクールバスで通っていました。
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脳性麻痺と共に生きる(27)高等部に入学 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)の中学部を卒業し、同級生との卒業旅行に行ってからの僕は、残りの春休み、のんびり家で過ごしていた記憶があります。
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脳性麻痺と共に生きる(26)自分たちで計画した中学の卒業旅行 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)の「PTAだより」だったと思います。卒業の季節になると、毎年、小学部から高等部までの卒業生が、それぞれの思いを書いていました。
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脳性麻痺と共に生きる(25)詩集「ノック」と初めての詩「女心」 有田憲一郎
中学部1年の時、ホームルームの時間に「これから何をして、どんなクラスにしていこうか」と話し合いをしました。この1年間で何をしたいか、中学の3年間で何をしていきたいか、何を目標にしていくのかというクラス目標もみんなで決めていきます。
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脳性麻痺と共に生きる(24)中学時代のことと大切にしている先生の教え 有田憲一郎
僕が通っていた養護学校(現在の特別支援学校)は、児童・生徒数も少なく、ほとんどが1クラスでした。僕の学年も授業ごとにグループ分けがあるものの、学年単位でのクラス分けがなく、転校や転入しない限り、卒業するまで一緒に学校生活を送ります。
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