神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。(使徒10:36)
ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。…「この人たちは、…聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにパプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」(同44~47)
2月14日はバレンタインデー。ある調査によると、義理チョコの文化が消滅しつつあるようです。コロナの影響で、自宅でリモートワークをする人が増え、実際に顔と顔を合わせて仕事することが少なくなったことが原因ではないかといわれています。人間関係が疎遠になりつつある現実を見ることができます。
クリスチャンの世界は交わりが不可欠です。お互いのために祈り、支え、感謝し合うことを大切にしていきたいのです。私たちはイエス様の愛を受け、「受けるよりも与えるほうが幸いである」ことを知りました。与える愛を、キリストを通して頂いていることを喜び合いたいと思います。
今日の聖書箇所では、使徒ペテロとローマの百人隊長コルネリオとの出会いが記されています。彼は聖書の神への信仰があり、さらにペテロたちから信仰の極意を聞きたいと願っていました。
これはコルネリオ自身の願いだけでなく、神ご自身のご計画でもありました。教会の中心人物であるペテロが本来なら「敵」である彼に神の福音を伝えるという道筋を、神ご自身が整えられたのです。「世界中のどの国の人も救われる」、そのような「恵みの時代」を開く象徴的なきっかけとなる出来事として、彼らの出会いはあったのです。神様は人を偏り見ません。全ての人に100%の恵みを与えてくださいます。
今年、私たちは「恵みの震源地」というテーマを掲げ、一年をスタートしました。兄弟姉妹、あなたは「恵みの震源地」になれないと決めつけていませんか。しかし、今日の聖書箇所で、神は誰にでも恵みを与え、祝福してくださることがはっきりと分かるのです! 3つのことを確認しましょう。
1. 人間の心の限界、差別意識、思い込みを越えて!
ペテロがユダヤ人として受けていた教育からすれば、「異邦人」というくくりは、簡単には乗り越えられるものではなかったでしょう。しかし、彼の「異邦人は救われない」という決めつけをはるかに越えて、神ご自身が働かれたのです。
ペテロは神による幻や御言葉が与えられ、変えられました。そして、神はコルネリオに対しても働かれ、彼は聖霊に満たされました。人のさまざまな「壁」を乗り越えられるように神は働かれるのです。私たちも「私も恵みの震源地としてください」と熱く願おうではありませんか。
2. 誰に対しても偏り見ることのない神!
罪の贖(あがな)い主である “主” は、全ての人の “主” なのです。ペテロたちは、異邦人であるコルネリオたちにも同じように聖霊が下ったことに感動しました! そうして、彼らも仲間に加わり、教会の一員になっていくのでした。
3. 惜しみなく聖霊を注いでくださる神!
神は私たちに良い物を与えてくださるのです。神は私たちに聖霊を豊かに注いでくださいます。
聖霊とは、神の霊ですから、神の恵みの中でも特筆すべき「特別な恵み」です。あなたは他人と比較し、自分の信仰生活が弱々しく感じられることもあるかもしれません。しかし、主は「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られます。「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」のです。
誰でも恵みを豊かに受けることができる、そんな恵みの神様がおられることを心から感謝しましょう!
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