今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。(ヨシュア記24:14、15)
2025年を神様に祝福された「恵みの震源地」としての一年とするために、あるべき生活のリズムを早くつかみ、クリスチャンとして恵まれるための流れに乗りたいと思います。そのためには、何気なく過ごすのではなく、生きる目標を意識しながら一生懸命生きていくことが大切です。
クリスチャンとして、恵みの神様に甘えたり、困った時の神頼みのようなわがままな生き方ではなく、弱いけれども、神様から与えられた信仰によって行動することを選び取りたいと思います。
そのことを踏まえ、「選び取る」ことを学びたいと思います。ヨシュア記は、ヨシュアの生涯の記録です。彼は、イスラエル人をエジプトでの奴隷生活から解放し、エジプトから脱出させたモーセの後継者でした。モーセ亡き後、リーダーとして約束の地カナンへとイスラエルの民を率いていったのです。
ヨシュアは自分の生涯が終わろうとするとき、神様から与えられた最後の教えをイスラエルの民に語ります。神様がイスラエルの民をどのように愛し導いてきたか、神様の恵みの事実を繰り返し語ったのです。この箇所から、クリスチャンとして生きるために、選び取りたい大切な選択肢を確認したいと思います。
1. 自分勝手に生きる? それとも神に仕えて生きる?
自由や権利が声高に叫ばれている今の時代、命を与えてくださった主なる神様に僕(しもべ)として誠実に仕えて生きることを意識しましょう。
2. 成り行き任せの選択肢? それとも事実に基づく選択肢?
アブラハム以来、さまざまな時代の中で、神様が共におられ、導いてこられた歴史上の事実があります。あなたの信仰も、たまたま偶然与えられたものではありません。あなたの救いにも、不思議な事実があったはずです。さまざまな神様の祝福と導きがあったはずです。
目先の都合の良いものではなく、事実に基づいた選択肢を選び取りたいと思います。
3. 感情や都合による行動? それとも信仰に基づく行動?
神様との関係は、私たちの気まぐれや思いつきでころころ変わるものではありません。そのような気まぐれから解放され、いつも信仰によって神様を選び取りたいと思います。
4. 先延ばしの決断? それとも人生を貫く決断?
大切なことにもかかわらず、決断せずに先延ばしにし、幸せになるカギを見失うことがないようにしましょう。今日、人生を貫く決断をしましょう。
神様が私たちと向き合ってくださるのは「今」なのです。あなたはそれにちゃんと答えているでしょうか。ヘブル人への手紙3章においても、「『きょう』と言われている間に」「きょう、もし御声を聞くならば」と、神様から「今日」というチャンスを与えられている間に、恵みに立ち返ることが必要だと語られています。
以上の4つの選択で、私たちはクリスチャンとしての信仰を選び取りたいと思います。この一年、私たちが「恵みの震源地」となるために、「私と私の家族は、主に仕える」と告白し、主の恵みを選び取って歩んでいく者となりましょう。
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