ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まってから、間もなく3年を迎えようとしている。ウクライナ軍の死者は昨年12月時点で4万3千人に上るとされる。厳しい戦況が続く中、ウクライナ聖書協会は、戦争で疲弊する一般市民だけでなく、最前線の兵士たちにも福音を伝える活動を行っている。英国クリスチャントゥデイに掲載された同協会によるレポート(英語)を掲載する。
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今朝、銃弾が飛び交う戦地に向かう途中、私たちは兵士たちが休んでいる古い建物に立ち寄った。
前線沿いには戦争の傷跡が見渡す限り広がっていた。私たちの足元の大地は爆発音で震えていた。風は煙と弾薬の匂いを運び、歯にしみるような苦味を残した。
私たちは暗い部屋に入った。薄明かりに目が慣れてくると、中央に小さなストーブがあることに気付いた。その暖かさが冷たい空間に広がり、凍える兵士たちに安らぎを与えていた。ストーブの周りには、弾薬箱や木箱の上で休んでいる兵士たちの姿が見えた。彼らの上には、天井に取り付けられた靴ひもに湿った衣服がつるされ、まるでクモの巣のようだった。
兵士たちはベンチに座って私たちを囲み、他の兵士たちはその場しのぎの「ベッド」に座ったままだった。私たちは会話を始めた。その中に60歳前後の男性がいた。彼の顔には戦争による疲労の跡があった。
バレリー・アントニューク主教が会話の中でサタンの話をしたとき、皆が爆笑した。私たちは当初、兵士たちが笑い出した理由が分からなかった。その後、私たちの近くに座っていたその兵士のコールサインが「サタン」なのだと指揮官が説明してくれた。
「サタン」と呼ばれるこの兵士は、示唆に富んだ質問とコメントで、私たちの会話を魅力的なディスカッションへと変えてくれた。彼は、自分が不可知論者であると言い、後に仏教が最良の宗教だと主張し、そしてサタンは決して誰かに悪事を強要することはないと言い張った。それどころか、サタンは常に人々に選択肢を与えているとさえ言うのだった。彼は、サタンは神の子であり、父に背いただけだと主張し、サタンは決してうそをつかず、今日も人々を欺くことはないと断言した。彼は私たちに神への疑問を投げかけた。
「なぜ戦争なのか」「なぜ血を流すのか」「なぜ子どもたちは死ぬのか」
この兵士は集会の中で、複数の点でサタンの特徴に酷似していた。
バシル神父は聖書を手に取ると、エバとアダムがどのように欺かれ、うそをつくようになったのかを読み上げた。それに続くディスカッションは、実存的な問いを掘り下げながら、活発で意義深いものとなった。
すると、その兵士は自分のコールサインの裏話を披露した。彼はロシア軍の占領下にあるウクライナ東部のルハンスク出身で、両親はそこに残り、分離主義者としてロシアを支援していた。彼は父親に背いたため家を出ることを余儀なくされ、今はもう両親と連絡を取っていないという。彼の言葉には深い痛みがあった。
私は、詩編119編84~94節を読んだ。重苦しい沈黙が部屋を覆った。
終わりに、私たちは一緒に祈ることを提案した。重苦しい雰囲気の中、その祈りは心のこもったものだった。外で爆弾が爆発する中、私たちは暗い格納庫でサタンについて議論したのだった。
祈りが終わるとすぐに、その兵士は「聖書を頂けますか」と尋ねてきた。バシル神父は彼に聖書をプレゼントした。すると彼は、私たち一人一人を抱きしめてもいいかと尋ねた。戦争は彼の両親と故郷を奪った。彼の痛みは耐え難いものだった。
私たちが別れを告げると、別の兵士が自分の話をした。彼もまたルハンスクの出身だった。彼の両親はウクライナを支援し、究極の代償を払った。ロシアがルハンスク地方を占領した際、戦闘で亡くなったのだった。
「私はサタンというコールサインは持っていないのですが、私も聖書を頂けますか」と彼はおもむろに尋ねた。「自分の聖書を持ったことはありませんが、子どもの頃に母がよく読んでくれました」。彼の名前はイリヤで、52歳だった。
私たちが車に戻ると、バレリー・アントニューク主教は、聖書をしっかりと握りしめながら私たちを見送る「サタン」に向き直って言った。「私たちは、あなたに新しいコールサインを与えます。モーセだ」